第21回葉山芸術祭・コミュニティのテーマ 葉山芸術祭実行委員会
【HAFコミュニティテーマ】 実行委員会より 実行委員会より
 葉山芸術祭を現在の実行委員が引き受けたのは1995年、阪神淡路大震災の年でした。ですから、当時は熱くボランティアが語られ、コミュニティが論じられました。そのため葉山芸術祭には芯の部分に、震災以降の時代性が組み込まれています。

 そして2011.3.11。以降、震災・原発問題をベースに経済と生活環境、資本主義、安全保障、国家観など壮大なテーマが語られてきました。個人がこの大問題に社会的に答を出すことは、不可能のようにも思えます。しかし答える責任からは逃れられない。そんな気にもなりました。


第21回葉山芸術祭・コミュニティのテーマ

『変わった? 変わらない?』
…僕らは変わったのか、変わってないのか?
…僕らは世界を変えられるのか、変えられないのか?

 変なテーマでしょうか? 変わった? 変わらない? は言葉の差、世界認識の違いに過ぎないかもしれません。でもその差を交換することは、コミュニティや社会に限らず、個々に置いても意味のあることと考えました。

 3.11以降『こんなところが変わった』『ここは変わらない』を平易な立場で交換するイベントがあっても好いでしょう。地域社会内で、そういう『意識』をシェアするのは葉山芸術祭らしくないですか? 『変わった? 変わらない?』を軸にした企画参加、ブース参加は尚更歓迎です。

 例えば、各々に起きたであろうこと…

 デモに行った。
 何度も署名した。
 家庭のアンペアを下げた。
 引越した。
 耕すのを止めた。
 あるいは始めた。
 スーパーで野菜が買えなくなった。
 あえて福島野菜を買っている。
 仕事を変えた。
 今も東北に行っている。
 瞑想が増えた。
 日常がますます環境汚染対策的になってきた。
 死生観が変わった。

 などなど。



【テーマ提案者:企画進行役実行委員・朝山正和からのコメント】

 10月末日、お世話になった方の告別式の後、同じ思いで集まった先輩アーティスト3人と語らう機会がありました。一人はフランス在住で、日本との比較の際に、目まぐるしく変化する日本の状況をある種、嘆いておられました。極論すればフランスは革命以降、同じ時代性を生きていると。日本人は物事を明らかにしないうちに、別のテーマに向かってしまうと。日本人の性格だけでなく、四季、天変地異の多発などの原因が語られ、いつしかその日本の核にある天皇制に話は移っていました。あと10月は九州にいました。そこで3.11以降、移住した葉山の友人宅をいくつも訪問してきました。そういう中で生まれたテーマです。

 僕たち日本人は、明治以降、果敢に近代化に取り組んできました。しかしその過程で生じた各種の社会矛盾(例えば国家と私、民主主義と村社会、自由と平等など)は、解決の緒でもある戦争、大震災後の機会を経ても変らず、今では自らを問題を「忘れっぽい」民族として卑下すらするようになりました。

 しかし恐れながらも言わせて頂くならば、3.11以降は、どうしても忘れることのできない象徴を得ることになりました。これを幸いといういうべきか、どんなに笑ったあとでも心の中に翳りがあります。いかに幸運を得ても歓び一色に世界は染まらない。日常に、いつも「原発」「核のゴミ」の影があります。今度こそ僕たちは変わるでしょうか? それとも、その影を心に映したまま、それも日本の成熟の質として受け入れ、変わらず生きて行くのでしょうか?
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