水そー屋さんの日記 水そー屋さんの空間へ
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2010.5.27 [木] 坊主頭

坊主頭とは最善にして最高の髪型である。 シンプルでかつ手軽。 そして経費が最低限におさえられる。 現代の髪型界では最高傑作ではないかと僕は考える。
シンプルと言うのはとても良いことだ。 頭の中の心もクリアになる。 髪の毛のケアで朝の何分を無駄にしているだろう。 と同時にシャンプー、ドライヤーの時間も同じだ。 そして髪の毛が伸びてくるとぼさぼさになり、次の美容院の予定は?どんな髪型?色は?予算は?など次々と考えなければならないことが出てくる。 生活の中のこういった諸問題をできるだけ削り落とし、心身ともにクリアになると、五感の感度もアップし、本当に大事なものや事柄また本当の自分などが見えてくるのではないだろうか。 
 坊主頭の良いところは他にもある。 外見に比重を置かない代わりに内面に比重がかかってくる。 要は中身で勝負ってことだ。 自分の中身を鍛錬しているうちに、今度は他人の内面も見れるようになる。 外見やたてまえ、役職などに惑わされるようなことは、常に鏡を見て髪をいじっている人と比べると、おそらく少ないだろう。(もちろん個人によるが) ただし、美容師だとかそれにかかわる仕事をしている人は別である。
 僕は中学生のときに初めて坊主にした。 部活動の関係で強制だったので嫌々だった。 顧問の先生にずっとしつこく坊主にしろと言われ続け、その度に拒んでいたが、最後にあまりにもしつこいので自分達でバリカンを用意して順番で刈っていった。 ストレートだった僕の髪は次に伸びてきた時にはくせっ毛になっていた。
 人生初の坊主が強制だったので坊主に対しての印象はしばらく最悪だった。 それからは反発し、長髪にしてみたり、金髪にしてみたり、高校時代はピンクや緑色の時もあった。
 だが大学を卒業し、オーストラリアに行く事が決定し、坊主にした。 旅をするのに髪の毛は不要だ。 僕はバリカンをバックパックに入れ旅に出た。 
 それから20代のほとんどを坊主頭で過ごした。 回りは一番格好を気にする年代だ。内面に比重を置いていた僕は自分の外見に全く興味がなかった。 美容院の事やシャンプーのこと、朝のセットの時間などを生活の中から削り落とし、その分他のことに没頭した。 坊主頭が現代髪型界の最高傑作である。 いや現代ではない、昔から未来もそうではないだろうか。 がしかし、30代になって僕の考えが少し変わった。 自分が他人にどう見られるかを気にするようになってきたのだ。 これは自分が最近人前に出る機会も多くなってきて、たまにメディアにも出る機会がある。 そんなこともあって意識が変わってきたのだ。相手が自分と関わったときに良い印象を与えたり、変な引っ掛かりを持たせないようにするのも技術だ。 
 僕は最近、服を買い、スーツを買い、香水を買い、家の窓を拭き、洗車をし、髪を伸ばし、美容院に通い、整髪料を買い、パーマネントをあてた。

2010.5.21 [金] 悪の化身R先生

僕の人生であの時期ほどストレスを抱えていた時期はない。中学1年、2年、と3年の夏までの約2年半の間、初々しいであろう青春をぼうにふった。
そのぐらいの時期は思春期真っ只中にあって、異性に興味を持ち始めたり、ちょっと不良ぶったり、ゲームをしたり、スポーツで汗を流したり、たいていの人はそうやって青春を謳歌していたはずだ。ところが僕は何を間違ったか、ストレスと暴力を謳歌してしまった。暴力と言ってもふるほうではない、ふられるほうだ。
 僕達バレーボール部員は、悪の化身R先生の魔の世界に引きずり込まれてしまった。 そもそもなぜバレーボール部に入ったのかと言うと、僕達は小学校の時に地域のバレーボールチームに入っていたので、小学生の時には既にスポーツの汗と青春の清々しさを知っていたのだ。 そしてバツが悪いことにみんな少しうまかったのだ。 それで中学生になってもそのままみんなでバレー部に入部してしまった。 誰もがスポーツマンシップの精神で、汗と青春の物語を経験していくと思っていた。 しかし僕達が経験したのは涙と暴力とストレスの物語であった。
 悪の化身は鋭い目つきを隠すように眼鏡をかけ、身長はひょろっと高く、まるでカマキリのような風貌だ。 機嫌の良い悪いは目を見ればわかる。機嫌の悪いとき、その鋭くシャープな目の開き方が若干大きくなる。そういう時はバレー部員の中で、今日は機嫌が悪い旨は直ちに伝達される。その時は僕達は覚悟しなければならない。
 悪の化身はそのカマキリの釜のような腕で僕達を殴りに殴った。 ときにはパイプ椅子を投げつけた。 あるとき、下校のときに帽子をかぶっていたら次の日に呼び出され、「格好つけるな」と言って僕を殴った。あるとき、練習試合で遠征先で酔っ払って「今日おまえだけ殴られてないな」と言って何も悪くない部員を殴った。またあるとき、悪の化身が出張で部活に出れない日に、僕達は嬉しくてテンションが上がり過ぎて全く練習せずに遊んでいたら、他の曲者の先生に密告され、次の日に全員放送室に呼び出された。これは魔の放送室なのだ。完全密室なので、何かしら暴力的な行動をするときは必ず放送室だ。校内放送で「バレー部員全員放送室まで」。はい、人生終了・・・って感じである。 そのときは予想通りボッコボコにされた上に、投げ飛ばされ僕の身体が宙に浮いた。宙に浮いた瞬間のことを今でもよく覚えている。
 そこから僕が得たものと言えば、ビンタをされるときの受身だ。ビンタをされる瞬間に若干顔を手の動きに合わせるようにして流すと衝撃が減る。 これを僕が発見して直ちにみんなに伝達した。 みんなすぐに実践した。 すると、悪の化身は左手で相手の頬を抑えて右手でひっぱたくという悪魔らしい技で僕の編み出した攻略をさらに攻略してきた。
 当時30代前半だった悪の化身は現在50歳前後だろう。 少しは丸くなっただろうか? 僕達が卒業した後、バレーボール部の繁栄は徐々に衰退し数年で廃部となった。
その後悪の化身に天罰は下っただろうか? 天罰を受け、罪を償い、しっかり更正していてほしいと現在30代前半の僕は悪の化身に対して思う今日この頃だ。

2010.5.17 [月] 屋久島

屋久島はパワースポットと言われている。僕はその単語を知っていた。しかし意味がよくわからなかった。屋久島への旅行でようやくその意味がわかったのだ。要は体感したのだ。
僕は1泊2日の山登りの計画を立て実行した。ある程度装備を揃え、食料も準備し、登山を開始した。山登りはなめてはいけないと充分に警戒してのぞんだつもりだったが、すぐになめていたことにきづいた。素人が山登りをすること自体なめているという事に気づいてしまった。初日の午前中で足はパンパン、ひざは痛い、つらい、きつい、痛いである。初日の前半でその状態なのになぜ、山を登りきって降りてこれたのか、今思えば不思議である。これはパワースポットのパワーの仕業かもしれない。
早朝から登り始め、夕方前には頂上に着き、夕方には泊まる予定の山小屋に着いた。電気なんかないので明るいうちに寝支度を整えなければならない。そして明朝は太陽が顔を出す前に出発だ。小屋に着いた時点で全身に今まで経験したことのない程の筋肉痛に見舞われた。痛くて身体が動かない。年をとると筋肉痛が1日遅れでやってくる。30を過ぎた僕も筋肉痛は1日遅れてやってくることが多い。はて?なんで筋肉痛なんだろ?と考えてしまうこともしばしばある。だが今回ばかりは筋肉たちは酷使され過ぎて時間差攻撃など流暢な事はやっている場合ではない。明らかに速攻をしかけている。それほどまで僕にちょっとやり過ぎだって事を警告しているに違いない。
翌日は朝一であの有名な縄文杉にたどり着く。僕は夜の寒さに備えて寝支度をし、寝袋にすっぽり収まって寝た。
翌朝、筋肉たちはこの世のものとは思えない程の悲鳴をあげている。痛すぎて体操すらできない。これから1日かけて山を降りなければならないのに。僕は動き出そうとしない身体に鞭を撃って歩き始めた。
いよいよ縄文杉だ。ここ屋久島に来る観光客のほとんどがこの縄文杉を見たくてやってくる。なんてったって二千年以上も前から生きているのだ。パワーがないわけない。パワーがあるからこそそんなに長い年月生きていられるのだろう。まだ朝日が昇るか昇らないかのうちに縄文杉にたどり着いた。なんと、この圧倒的なたたずまい。そしてこの大きさ。この押し迫る気迫。これが縄文杉、山の主。僕がたった今二千年の生命の歴史をもつ縄文杉と1対1で向かいあっていることに幸運を感じた。僕は縄文杉の前で仰向けになり、圧倒的なパワーと神秘的な空気を肌で感じながらしばらく眺めていた。が、いつの間にか眠ってしまっていた。もう空は明るくなっていた。目が覚めたときには少し離れた所で数人が体操をしていた。僕は縄文杉の目の前を一人で独占してしまった事、ずうずうしくもそこで居眠りしてしまった事を申し訳なく思い、もしかしたら、彼らは縄文杉の前で体操をしたかったのかもと思うと心が痛んだが、でもきっと縄文杉様は僕を選んだんだといとも簡単に開き直り、出発することにした。
歩いているときに気づいたのだが、左手首にしている水晶のブレスレットがきらきら輝いている。いつもより光っているのだ。これもパワースポットを体感したと言える要因の一つだ。水晶も元々は自然の産物だから共鳴するところがあるもかもしれない。
そしてもう一つ、僕は自然の中にいたり、太陽、月、青空なんかを見ると願い事をする癖がある。常に目標や夢を忘れないと言う意味もあるのだが、神様に願い事ばかりしているなぁとふと気づいた。こんなことに気づくのもパワースポットならではだと思う。ここに来て、心が洗われてクリアになる。そうすると感度が良くなって普段気づかないことにもこうして気づけるのだ。これは間違いなくパワースポットのパワーの仕業だ。
いつも一方的に都合のいい願い事ばかりしていると気づいた僕は、逆に神様のために何かしようと思った。今自然の中で僕にできることは何か?僕は下山の途中ゴミを見つけたら拾って帰ることにした。なんだかとてもいい気分だった。ゴミは少なかったがそれでも少しは拾って帰った。
神様のために何かしたらホントに願いを叶えてくれるかもしれないなんて下心がなかったと言えばそれは嘘になる。が、それでもいい。そういう事に気づけたのが嬉しかったのだ。パワースポット恐るべしである。

2010.5.17 [月] 趣味のポジティブ質とネガティブ質

人生の中でトップ3に入るくらいの大きな気付きだった。
この気付きによって僕の生活は一変することになる。
数年間はもったいなくて誰にも言わなかった。と言うより、まず自分が行動してからではないと誰にも言えない気がした。
今では10人ぐらいにはこの気付きについて話をしただろうか。どう受け止めるかは本人次第だ。
その気付きとは『一つの趣味には二つの性質がある。発信タイプと受信タイプだ』と言う事だ。
これを趣味のポジティブ質とネガティブ質と名付けたが、別にポジティブがいいとかネガティブが悪いとかってわけではない。全てが発信と受信で成り立っているのだ。そして発信タイプの方に立つとそれは仕事に成りうる。
どういう事かと言うと、例えば音楽が趣味だとしよう。私は音楽が好きです。この場合、音楽を聴くのが好きな人と音楽を演奏するのが好きな人に別れる。これはまさに演奏が発信で音楽を聴くが受信だ。そして発信者の場合ミュージシャンと言う職業に成りうるのである。
スポーツが好きだ。発信が『スポーツをやるのが好き』であり『スポーツを見るのが好き』が受信だ。そして発信者の場合、スポーツ選手と言う職業がある。
美味しい食事が好きだ。発信が『美味しい食事を作るのが好き』受信が『美味しい食事を食べるのが好き』だ。発信者はもうみなさんも分かるだろう。レストランや居酒屋などは立派な職業だ。
と、こんな風に気付いて僕は考えた。何ができるだろうか?
僕は自然や生き物が好きだ。『自然や生き物を見るのが好き』なら受信タイプだ。じゃあそれを発信タイプにするには…

僕が水そー屋さんを起ち上げたのは若干25歳。天からの気付きを受けて以来道がパッと開かれた。いや、それまで見えなかっただけかもしれない。濃い霧がかかってたのだ。それが晴天になって太陽が道を照らした。道は遠くの方まで永遠に続いている。遠くの方まで太陽が照らしてくれている。だけどゴールまでは遠すぎてまだまだ見えそうにない。

2010.5.17 [月] blog開設

いろいろな事が巡り、流れに流され、いろいろな人と出会い、導かれ、やっとここまできました。
今こうしてみなさんに挨拶できるのも、僕と繋がってくれたみなさんのおかげ、そして感情を共有してくれたみなさんのおかげです。本当にありがとうございます。
ホームページ作成を手伝ってくれた、さのちゃん、隆ちゃん、special thanks!

さて、blogでは僕が日常の生活で気付いた事や(誰も気にしない変な事に良く気づくんです)、知っておくと得する人生的な気づき(ひょんな事からピンときたりしちゃうんです)等をエッセイ風に書いて、週に一回ぐらいのペースで更新して行こうと思ってます。
どうでもいい話も数多くあるので気軽に覗いてくだされば幸いです。

記念すべき第1回目は「趣味のポジティブ質とネガティブ質」です。僕のプロフィールにもこの単語が載ってますので説明が必要です。どうか覗いてください。
HP http://www8.plala.or.jp/...
携帯サイト http://www8.plala.or.jp./...

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