●バリの舞踊
Topeng
 さあ、今回はバリ舞踊の真髄、トペンの特集です。「トペン」は仮面そのものをさす言葉でもあり、仮面をつけて踊られる舞踊または劇のことでもあります。面だけをさす場合、Tapel(タプル)と呼ぶこともあります。UBUDのプリ・サレンや、その他あちこちで毎晩行なわれているガムランの公演でも、よく踊られているので、みなさんもきっと観たことがあるでしょう。そして、なんと言ってもトペンは、バリ・ヒンドゥー・ダルモの儀礼には欠かせないものでもあるのです。中でもトペン・パジェガンと呼ばれるものは、ひとり(最近はふたりの場合もある)の踊り手が次々にトペンを付け替え、それぞれの面の性格を巧みに表現するという、超ウルトラのワザが必要なトペン劇。ある本には、「パジェガンの踊り手は祖先の霊を宿して高い宗教性が求められる」と書いてあるほど。実際、プラのオダランの初日、プダンド(高僧)による祈りが行なわれている時に、プラの境内でパジェガンは踊られるのですが、この踊り手はそんじょそこらの素人ではやらせてもらえず、他の村から、その道のプロ(?)を招いて踊ってもらうことも少なくありません。パジェガンのストーリーは、ババッドと呼ばれるバリの昔々の王朝史を題材にしたもので、いくつものパターンがあります。中でも一般的なパターンは、こんな順番で登場します。
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1.トペン・クラス(荒々しい型の面)
2.トペン・トゥオ(老人をあらわす面)
3.プナサール(口から上だけの半面。道化役)
4.パティ(大臣役)
5.アルソ・ウィジャヨ(通称トペン・ダラムと呼ばれる王様役)
6.ボンドレス(おとぼけ役の民衆の面。いろいろある)
7.プダンド(高僧の面。高いかぶりものが特徴)などなど。ストーリーによって使われる面が変わります。
8.シド・カルヨ(最後は必ずこれでシメます。儀礼がつつがなく、無事に終わるように願って踊られるもの)
 ウパチャラ(儀礼)の最も重要な始まりの時、プダンドが鈴を鳴らしはじめ、マントラを唱えはじめると同時にトペンが始まり、プダンドの祈りが終わると同時に最後のシド・カルヨが終わらなければなりません。プダンドがトペンに合わせるのではなく、トペンの演者がプダンドに合わせなければならないのです。このパジェガンの舞台裏(といってもただの幕の裏ですが)には演者の手伝いをするアシスタントが必ずいて、演者が次に付ける面を完璧にスタンバイしていなければなりません。そして、ひとつのトペンを踊り終わった演者が幕にひっこんだ、その瞬間から、超早ワザでトペンとかぶりものを付け替え、アシスタントが手に持った鏡を見て、お色直し(?)をしながら演者はもう次の面のセリフを唄いはじめるのです。幕の前でふつうに観ていると、その変わり身のすばやさはとてもひとりの演者が面を付け替えただけのようには見えません。ただ面が変わっただけでなく、性格、立ち方、歩き方、しゃべり方、声、クセまで変わるのです。それも一瞬のうちに。

 あるバリ人の踊り手に、日本の面(ひょっとこ)をつけたら、どんな踊りになるか、ためしてもらったことがあります。彼は手のひらに面を持ち、顔と突き合わせ長いこと、その面をながめていました。次に手でその面を少しずつ動かしはじめました。「このトペンは、どんな性格なのか、どんなクセを持ったヤツなのか、どんなふうに歩いて、どんなふうにしゃべるのか、それがわかってくるまで、こうやって長い長い時間、見つめ合うんだ。そうすると自然に動き出すんだ」。そして、踊る時は、自分自身がそのトペンになりきるのだそうです。みなさんは、トペンの表情が変わるのを見たことがありますか?本当に上手なトペンの踊り手は少し踊っただけで、変わるはずのない面の表情を変えてしまいます。そう、少しニッと笑ったり、驚いて目を見開いたり。
 あるオダランでトペン・トゥオを観ていた友人が、前方に座っていた日本人のご夫妻が「まあ、あのヒト、よくあんな長いあいだ、まばたきをしないでいられるわね」と言っていたのを聞いて笑っていました。バリの舞踊を語る時、よく「タクス」という言葉が出ます。簡単に訳すと、カリスマとか魂とかの意味合いですが、トペンの踊り手にタクスがないと、面は生きてこないのだそうです。そしてトペンの演者は、セリフ達者でなければなりません。
 パジェガンほど儀礼色が強くありませんが、よくオダランの催し物で観ることができるのが、Pelembon(プレンボン)というトペン劇。これは3〜5人のトペン演者とアルジョ・プレンボンという、トペンをつけない女性の役者が何人か登場するものです。これも、トペン・クラス、トペン・トゥアなどから始まって、プナサール、ボンドレスなどが続いてあらわれます。クラスやトゥオ、アルソ・ウィジャヨなどは踊りだけですが、劇のストーリー展開に入ると、プナサール、ボンドレスなどセリフが入るトペンが登場して物語が始まるのです。
特に道化役のプナサールは、ストーリーの筋の中に、ジャスト・オブ・ナウの時事問題、世間話、政治問題などをうまく取り入れては、おもしろおかしくひにくったり、冗談を飛ばしたり、時にはちょっとエッチな話題も入れたりなんかして、観衆を大爆笑させます。二人の道化役の掛け合いのセリフなどは、ほとんどアドリブ。話の本筋をちゃんと押さえながら、いかに観衆をあきさせず、舞台にひきつけるか、演者の技量にかかっています。そして、そのハラハラさせるような演者のやりとりやギャグが、昔から常にトペンを新鮮にかつ人気ものにさせてきた大きな要素といえるのです。そう、トペンは、今、観られる数々のバリ舞踊の中で、もっとも歴史が古く15〜16世紀には、ほぼ現在のかたちに完成していたと言われます。

 山あいの田舎の村のオダランで、初めてじっくりとトペンを観た時の興奮は忘れられません。プラの境内の片隅にランセイ(幕)が張られ、いくつかの電球玉が上からひもでつるされただけの舞台。あおられるような力強いガムランのメロディーがしばらく続いたあと、ランセイの真ん中を踊り手が裏から指でつまんだ時から踊りは始まっていました。ランセイを裏からつまんでふるわせているのですが、そのかすかなランセイの動きに合わせて、すでにクンダン(太鼓)はアクセント(バリ語でアンサルといいます)を入れ始めています。そうやって観衆をわくわくさせたあと、ゆっくり、少しずつ少しずつ、非常にもったいぶったように、ランセイの真ん中からトペンがあらわれた時、もう私は、その場に釘づけでした。トペンの顔が生きているように見えたのです。全身に鳥肌を立てながら観たのを今でも覚えています。みなさんも機会があったらトペンをじっくり観て、バリ舞踊の真髄の醍醐味をあじわってください。

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1. パティ
Patih(大臣)

トペン・クラス(荒型のトペン)として踊られることが多い。
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2. トゥオ
Tua(老人)

静かな動きの踊りだが、その分踊り手のうまいへたが、はっきりわかってしまうといわれる。
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3. アルソ・ウィジャヨ
Arsa Wijaya(王)

トペン・ダラムと呼ばれる。ほかのトペンと比べて、やわらかな動きが特徴。
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4. プナサール
Penasar(道化)

プント(Punta)と呼ばれることもある。物語の進行役、語りなどを担当。口髭から上だけの半面。
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5. プダンド
Pedanda(高僧)

これも半面で、目の部分が大きく開いている。
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6. ボンドレス
Bondress(民衆)

このような口をしたトペンはチュンゲー(Cungih)と呼ばれる。
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7. ボンドレス
Bondress(民衆)

ボンドレスの中でも、一番こっけいな、おとぼけ役で登場。
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8. ボンドレス・トゥオ
Bondress Tua(老いた民衆)

ブンデサ(慣習村の村長)とも呼ばれる。これも半面。手の持っている竹筒はプンロチョカンというシリー煙草の材料をつぶす道具。
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9. シド・カルヨ
Sidha Karya

魔王の面とも言われるが、儀礼が無事に成功するように、という意味で踊られる。直訳するとKarya=Works.Sidha=Successである。
(Terima kasih banyak)
●写真協力●
フォトグラファー:渡部 赫氏
トペンの踊り手:I Ketut Suwetja氏
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