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2010.4.28 [水] 都をどり

朝から大徳寺の月釜、そして祇園の歌舞練場へハシゴ。もはや初夏の趣だけど“都をどりはヨーイヤァサー”です。
運良くチケットをいただいて、1週間前に座席指定に歌舞練場へ行ってみれば、さすがに桜の時季をはずすとゆとりがあるのか中央4列目が空いてました。

舞台は春からはじまり、夏・秋・冬、そして春に戻る。揃いのブルーの衣装を着ていても踊りの上手い人はすぐにわかって、ずっとその人ばかり追っていました。大変色っぽく美女で踊りのうまい芸妓さんにも釘付け。私が男だったら、シャチョーだったら・・・とヘンな妄想(笑)。

呈茶席では、前も疑問に思ったのだけど、お点前さんの襟元が気になる。下前の襦袢の襟がふわっと立っているんだ。お点前さんは帯締めもぽっちりもつけていない。お運びさんはあり。うーん。

2010.4.22 [木] 漆器 つづき

びわさんの日記を拝読。私はつい先日知ったご夫妻のこと。びわさんのお話をきいてすこし理解がふかまり、何よりこころがぽっと温かくなりました。
そうかあ。大切な合鹿椀がびわさんのところに。集大成ともいうべきもの、最後にだんなさんが作ったもの。縁のある方々にもらってもらえることになって嬉しいのです、と愛子さんが話されてました。

2010.4.19 [月] 子どもたちの冒険

友と友の子どもと寺で会い、うちくい展へも。

柔らかな青楓のもとで遊ぶ子どもたちの姿は映画のワンシーンのようだった。ネコをおっかけて石を投げたりするのはどうかと思った。さらにネコを探して三重塔の階段にのぼった。ネコがいないのがわかると、無念そう。用心深く階段を降りようとしている。ひきしまった表情で。「よしよしガンバレ」などと思いながらのんきに写真を撮っていたら、ひとりが目の前で転落。まさか。
心臓が飛び出そうになったし、申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、結果何もなく擦り傷だけで済み心から安堵。数日間、その後なにもなかったか気がかりで仕方がなかった。

あとで写真を見返してみると、これは彼らなりのちいさな冒険だったのかもしれないと思った。表情がとてもいい。一連の写真に文章をつけて絵本に。題は『かいだんにのぼったよ』。これぞ私家版です。増刷の依頼ももらって、本は海をも渡り、おじいちゃんおばあちゃんにも届けられたよう。

2010.4.14 [水] 茶会

おおきな茶会のお手伝いの日。
家元の御献茶に付随する拝服席にて。いろんなことが初めてで、とても勉強になりました。家元の玄関さんたちの所作にほれぼれとしたり、配膳さんと呼ばれるおじさんたちの存在が興味深かったり。茶の湯や寺を取り巻くひとびとの層の厚みにもおどろいた。

きものは高橋徳さんで染めてもらった色無地。帯はひつじ草の唐織。帯揚は絞りにしてみました。帯締は萌黄色。最後薄茶席へ入れてもらったらお菓子の色のトーンがすっかりお揃い。亀屋良永の落雁/すはま「大原路 春の色」と寒氷「桜」。ふふ。おもしろい。

2010.4.11 [日] 漆器

漆器とはプロが作るものだと思っていたけれど、どうやらそうとも限らないらしい。
ある夫婦が定年後に漆器の修理からはじめて30余年。さまざまな漆器を作るようになり、それがびっくりするようなクオリティで、かつプロには作れないようなものがいくつもできあがった。教室的なこともされており、アマチュアとして漆器をつくる輪は広がっているよう。

『漆塗り その美しさと実用と科学』という本の出版にあわせた展覧会「漆展」がこの週末にありました。大正9年生まれの夫・豊島清さんは「高分子」専門の科学者だった。彼が研究&制作にあたり、妻の豊島愛子さんがプロデュース。清さんはひと月ほど前に亡くなり、本当なら二人そろってお話される予定だったのだろうけども、愛子さんが一人で漆について、漆器について話してくださった。「これはね、こうですのよ」、原節子みたい。女学生みたい。

漆器は弱く手入れが面倒で高価であると敬遠されている、もったいないことですと嘆いておられた。私は漆が大好きで毎日使っているから、そうなのかなあと実感がなかったのだけど、母世代の方が「スポンジで洗っても大丈夫ですか」などと質問しているところをみると、そんなものなのかもしれない。骨董品店でも、愛子さんが数十年前に買ったときと比べると、漆器は1/3とか1/5の値段になってしまっているのだって。

清さんが最後につくったという合鹿椀は特に印象ぶかい。きれいに修復した桃山時代の漆器なども見せてもらった。茶事のためにこしらえた棗や食籠、椀物もすばらしい。特徴的なのは、最後の研ぎ出しをせず、塗り立てになっていること。綺麗すぎないから、昔のもののよう。家族のために作った器は画一的な製品の顔をしていない。温かみがあってどれも力があった。

会場になっていた骨董品店でミニ椿皿を2枚買う。「ようび」の椿皿に憧れていたのだけど、なかなか高価でありまして...。漆がしっかりと厚く塗られている感じがする。早速おやつをのせました。尊敬する植村義次の洲濱。

2010.4.10 [土] ふろしき力アップ

ちといちさんが表彰されるときいて、ふろしきメーカー山田繊維/むす美のふろしき公募展&新作発表会に寄せてもらいました。会場は演劇などによく使われる旧毎日新聞社京都支局ビル、ART COMPLEX 1928。ふろしき七変化楽しいっ。こりゃ山田繊維社員の必修芸ではあるまいか!?

すごいなあと感心したのは、表彰式後のお茶タイム。ちょっとしたお菓子とお茶をご用意しています、なんて謙遜ぶりなのに、美味しそうな和菓子と洋菓子がすてきなそして重そうな(つまり運ぶのがとっても大変そうな)器にきれいにゆったりとたくさん並べられた。そのセッティングだけでも大変だと思うのに、お皿代わりは懐紙、お茶はお湯のみやグラスに入れてふるまってくださった。MOTTAINAIを推進しているからこそ、こういうことってほんっとに大事。でも面倒だからなかなかできないものなのに。

そんなわけで、一気にむす美ファン。今日はひとつ大きな知恵を授かり、新たなふろしき自転車ライフが始まりそうな予感。わくわく。うまくいくかな。

ぽかぽか陽気。ソメイヨシノは散り始め。

2010.4.8 [木] 今日の今日庵

小川通りを自転車で通るのはちょっとした趣味。今日の今日庵はひときわ美しかった。向かいの本法寺は今まさに桜が満開。桜、青い空、うす緑の柳。すべてがまばゆい。目をパチクリさせてしまうほど。

聚洸の菓子をはじめていただいた。「蓬きんとん」というとてもユニークなもの。つくね芋らしき地に蓬が練りこまれているのです。素材の味がしっかりあって、とても美味。すてきです。

2010.4.5 [月] 白のしだれ桜

どこもかしこも桜でいっぱい。この先しばらくお天気が安定しているらしく、ゆっくり桜が楽しめそうです。

早めの夕方、御所をちょっぴり散策。白の枝垂れの花がおち、紅の枝垂れが開きつつあるちょうど間。

しだれ桜にもいろいろあるけど、好きなのは白の枝垂れ、花びらが小さすぎず、ちょっと小さいくらいの桜だなあと今日改めて思った。花も多すぎないくらいがいい。いずれ庭なりどこかに桜の木を植える機会ができたら、こんな桜にしようと思いながら眺めた。
ああ、可愛い。可憐。

2010.4.4 [日] お花見日和

花冷えの日々から一転、ぽかぽか陽気のお花見日和。ソメイヨシノはほぼ満開。のどかなお花見ピープルでいっぱいの(といっても程よい人口密度の)日曜日の賀茂川土手をお散歩しました。写真は近所の疎水沿い。

昨日は日本の洋装化の歴史について、レクチャーを受けた。話してくださったのは京都服飾文化研究財団の周防珠美さん。大変興味深し。記憶をたどって以下メモ。

〈男性の洋装化〉
・洋装化のはじまりは西洋式軍隊の軍服。位の高いほうから徐々に洋装化していった(『坂の上の雲』の世界)
・鹿鳴館時代には夜会で洋服を着用
・国会においても洋服が正装として奨励された。このあたりまでは完全に上流階級のみ
・大正時代、第一次大戦が終わるとモボモガが台頭。先進的な人々が洋服を着るようになる。しかしまだ限定的
・サラリーマンという新しい層が背広を着るようになる

〈女性の洋装化〉
・洋装化のはじまりは鹿鳴館時代の夜会のドレス。コルセットがっちり、後ろがふんわりとした形のもの。明治天皇の皇后(昭憲皇太后)は強く洋装化をひっぱった。「上半身と下半身の分かれていない着物は女子の行動を制限して不自由である」との言葉が残っている
・ココシャネルが女性をコルセットから解放
・男性と同じく大正時代、第一次大戦が終わるとモボモガが台頭。先進的な人々が洋服を着るようになる。しかしまだ限定的
・その後も女性の洋装化は男性ほどに進まなかったが、一般大衆に一番早く広がったのは、夏のワンピース“アッパッパ”。夏はアッパッパ、それ以外の季節は普通に着物、という時代が続く
・第二次世界大戦後は一気に洋装化
・ツイッギー来日でミニスカート、など流行はいろいろ。基本的にパリなどが発信する流行を受け入れるのみ
・80年代はじめに川久保玲・山本耀司がパリコレに参加。衝撃を与える。一方的に流行を受けるものではなくなった

洋装化はアッパッパからだったのか!というのが一番大きな「へえー」でありました。やっぱり暑かったんだなあ。そして日本人の適応性の高さにも改めてびっくり。そして現在はその反動勢力多し。←自分のこと

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