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2005.1.29 [土] 新年会

くもり時々晴れ、後に少し雨

 今日雨が降ったら玉簾をどこでやるか、がずーっと気がかりだった。室内だとあんまり暴れられないし、技も小さくなってしまう。しかし葉山に着く頃には晴れ間も見えたりして、お天気はちゃんともってくれた。よかった。
 簾の具合もまあまあだった。糸を殆ど交換し終えたときにはあまりのすべりの悪さに愕然としたけど、これでもかってくらいにベビーパウダーをはたいたらどうにかなった。私はタコ糸(木綿糸)に蝋をつけて使ったけど、本来の糸はどうやら蝋引きした麻糸らしかった。麻のほうがすべりの良さや丈夫さに優れている、ということなのかなあ。
 ということで、もし今後、南京玉簾の糸をとっかえようという人がいたら、麻糸をつかうとよいでしょう。木綿でも代用できますがその際はベビーパウダーを存分にはたくように。

 これでもあまり社交的な方ではないので、同じ席から皆さんの装いをじいっと拝見してました。私もいつかああいうのやろう、というような目標を沢山見つけることが出来ました。楽しいねえ〜。

 今日は夕方からも友人宅で新年会があり、葉山ではゆっくりできなかった。逗子駅近くのケーキ屋さんというのに行ってみたかったものだ。こちらの集まりも着物を通じて知り合った人達のものだ。また調子に乗ってお喋りして、ここを出たのは12時になってからだった。
 楽しい一日だった。

画像は、こゆきさんに撮って頂いた南京玉簾の最後の、しだれ柳にはやがわりしたところ。

本日の装い:小紋の着物、唐織の袋帯、菊地紋のピンク長襦袢。すべて母のもの。大学卒業のときに成績が思いのほかよかったので祖父母が作ってくれたものだとか。帯は去年の新年会でも同じものを締めました。長襦袢は、玉簾の練習中にあっこさんの襦袢魅せ!の時に色違いでお揃いだと気づきました。

2005.1.24 [月] 

晴れ。昨日の雪もだいぶ融けた

 朝になったら約20センチの積雪。今回の雪は軽い粉雪だったので雪かきは竹箒でだいたい足りた。簡単でよかった。
 夜、最近調子のよくない玉簾の糸を少し替えた。扱いが乱暴だからか使い込んだからか、どうも竹の棒の間隔が全体に広がってきているようだった。これがあんまり狭くてもすべりが悪くて扱いにくいが、かといって今のようにゆるゆるだとそれもやりにくい。部分的に糸が弱ってきていることでもあるし、思い切って大部分を結びなおすことにしたのだ。
 しかし、すぐに結構面倒くさいことだとわかった。作業自体はどうということはないのだけれど、締め具合をどのくらいにしたもんか、どうやって間隔を均一にするのか等が難しい。おまけに付属品の替え糸をどこかへ無くしてしまったので、手持ちの太いタコ糸の撚りを解いて適当な太さに撚り直し、それを蝋に浸して蝋引き糸を作る、という作業もしなくてはならない。めんど〜。でももう糸きっちゃったよ。始めてしまったからには完走しなくてはならない。少なくとも土曜日の本番までには。たのむからうまくいってくれー。

画像は、作業中の玉簾。うまくいくんだろうか・・・。
 

2005.1.23 [日] 

くもりのち雪

 今日も玉簾の練習をした。太鼓と鉦が入るとぐっとやりやすく、ぐっとかっこよくなるなあ。
 帰り支度をする頃にはみぞれが降っており、こりゃあうちのほうはしっかり雪だな、と思っていたら、やっぱりそうだった。帰宅した時点で約5センチの積雪。普通の下駄で雪の中を歩くのは塩梅が悪かった。
 新年会は晴れて欲しいよ。

2005.1.22 [土] 

晴れ

 知人と昼ごはんを食べ、この人の用事で図書館へついて行った。ついでに私もちょっと調べ物を。私の持っている和裁の本には関西式の長襦袢の作り方が簡単にしか載っておらず、他の本を見てせめて寸法くらい知りたいと思っていたのだ。
http://www.amazon.co.jp/...
この本は本当に丁寧だ。欲しいけど、でも高い。私に何かくれてやろう、などと言い出す人が出るのを気長に待とう。
 夜、映画「タクシー ニューヨーク」を観た。フランスでのオリジナルは観てないけど、こっちは面白かった。

2005.1.18 [火] 

晴れ

 今週はわりと暇だ。ちょうどよいので仕事を片付けてから歯医者へ行った。旅行先でもりもり食べているときに、歯の詰め物が取れたのだ。しばらく着物を着ていない。ウールでも着て出ようかと思ったけど時間がなく洋服で出かけた。
 家で働くようになってから、それも汚れ仕事や肉体労働が多くなってから、野良着は増える一方だが外へ出られる洋服が少なくなった。着物好きになってからは特に買わなくなったし、買わなくても用が足りるので随分前のものをずっと着続け、それもあまりいたまないから捨てられない。その結果、たまに洋服で外出するとなると結局いつも同じものを着ていることに気がついた。特に今頃の季節は、振り返れば約5年間、同じ組み合わせの服で出かけていたようだ・・・。
 5年前の暮れに上海の友達の家へ遊びに行くのにあわせて買ったコートを先日の旅行でも着たが、考えてみたらウールのズボンも同じものだった。その翌年に買ったジャケットを加えて、この3点セットは気づいたら旅行の定番になっていた。冬の旅行は基本的にこれらは着たきりすずめなので、まさに定番。友達にこのことを話したら、
じゃあそれはあなたのた旅の制服だね、
といわれた。その通りかもしれない。
 いい加減何か買おう。でも、それがまた制服みたいになるんだろうな。おしゃれ、ってものをサボっているということなんだろうな。

画像の格好に紫のウールのロングコートをあわせたものが、その「制服」。この格好で5年間、上海、香港、イタリア3回、セントルイスへ行った。アルバムのどの写真を見ても、この同じ格好した私が写っている。年は違う筈なのに。芸がなさすぎ・・・。

2005.1.16 [日] 

雪のち雨

 今朝は雪がちらちらしていたが、やがて雨に変わり、おかげで外出することが出来た。でもかいた雪が雨で重くて大変だったけど。

 新年会へ向けての玉簾の練習をした。あれでも結構体力つかう。飛んだり跳ねたり歌ったり。芸人って大変なんだなあ。

画像は、帰宅して今日新たに付け加えた部分をさらう私。

2005.1.15 [土] 

雪。結局一日中降った。

 雪のために外へ出られず、家でごろごろして過ごした。雪かきは明朝すればいいや。
 明日は何とか出たいものだが、どうなんだろう。
 ただいま午後9時半の時点で約15センチの積雪。

2005.1.9 [日] パレルモ→成田

晴れ。
 パレルモの空港は海に面したのどかな風景の中にいきなりあった。飛行機への階段を上っているときに日がぎりぎりと差してきて、シチリアらしい空気を最後に味わえた感じ。
 成田の税関では初めて荷物を開けられた。かばんが見かけの割りにずっしりと重かったからかなあ。何でこんなに重いんですか?と聞かれ、瓶詰めの食品が多いからです、と答えたら、開けてください、と。結局なにもお咎めなしだったけど、もしかしてお酒をいっぱい持っていると思われたのかなあ。
 家に帰ったら机の上に、留守中に出た伝票やら何やらが山積みにされていた。明日からまた面倒だなあ。

画像は、旅行中に見つけた花や実。これが結構楽しかった。

2005.1.8 [土] パレルモ

晴れ。
 今日は主に食料品の買出しをした。宿の周りには市場があり、生ものはダメだけど焼き菓子やお惣菜を沢山手に入れた。かばんはこういうものでものすごく重くなった。食べ物、特に瓶詰め製品は重いのだ。明日はこれを背負って帰る。大丈夫なんだろうか。
 今晩こそ、絶対に腹八分目の食事をするぞ、と再度誓って店に入ったら、そこにもやはりコースメニューが・・・。しかもまたえらく安い。これだけ安いんだから大量に出てくることはあるまい、とまた同じことを考えて注文しようとしたら、今日はこのコースはないという。食べ物の神様がようやく私のバカさ加減に気がついて救って下さったのかもしれない。
 私もやっと目が覚め、メニューをまたよく読んだら、中にクスクスというのがあった。これだよ!私が食べたかったのはっ。迷わずこれと、魚介類の揚げ物を注文した。どっちもおいしかった。そして量もちょうどよかった。デザートまで食べることが出来た。最初っからこれをやっていればよかったんだよ。

画像上は、市場のチーズ屋さん。モツァレラチーズが大好きなので今回も期待してきたが、シチリアではあまりおいしくなかった。工場で作ったようなものしか見かけず、豆腐のような作り立てのものはなかったように思う。やはりナポリとかその辺が本場なのだろうか。

画像下は、マッシモ劇場。これの正面階段は映画「ゴッドファーザー パート�V」のクライマックスで登場する。るるる〜。今回は結局時間がなくて予めこれのビデオを観られなかったのが残念だ。

2005.1.7 [金] シャッカ→パレルモ

晴れ。
 今日もバスで、来たときと逆の道のりでパレルモへ戻った。今度は終点まで乗っていればよいので降り間違えなかった。よかった。

 パレルモではこないだと同じ宿に荷物を預け、早速周辺を歩き回ってみた。旧市街の立て込んだ中にある宿で、もしかして物騒な地域なのかも、と思ったけどそうでもなく、何よりすぐそばに市の立つ通りがあるのがとても嬉しかった。ガイドブックではもう一つ、ウッチリアという市場を賑やかなところとして紹介しているが、宿のあるバッラロの方がずっと活気があり規模も大きく、庶民的な感じがした。
 宿はいかにも昔からそのまま建っていたような古めかしい石造りの建物で、周囲の住宅も似たような煤けた色をしていた。泊まる所はなるべく庶民的なところか歴史的な建造物がいいなあ、といつも思っているので今回も希望通りのところで嬉しい。
昨日の宿もそうだが、ここも家族経営のようで、私の部屋は家族の居間の隣だった。ここんちの小さい子が駄々をこねて泣き叫んだり、ふざけて私のドアを叩いたり、しかられたり。隣接した建物が工事中なので、これのガガガガガガガという音もかなり喧しいが、どれもまあ面白いことだし、夜寝る頃にはちゃんと治まっていたのであまり気にならなかった。

 今晩の食事こそは腹具合に応じたものを食べよう、コースでとるのは危険だからやめよう、と念じつつ宿の若女将に教えられたところへ行った。が、ここのメニューにもやはりセットコースが載っており、これがえらく安いのが気に入り、これだけ安いんだから大量に出てくることはあるまい、とこれを注文してしまった。この読みも大きく外れ、結局昨日の二の舞だった・・・。安くても私が食べきれない量なのは変わらず、安いというのはその分あまりおいしくない、ということのようだった。おいしいものもあったけどね。
 同じものを食べている家族連れを発見したので彼らの食べっぷりを逐一観察させてもらった。若い両親が私と同じコースをそれぞれとり、幼稚園くらいの女の子はペンネ、もうちょっと年上の男の子はピザをとっていた。私には1/4がやっとだった前菜盛り合わせを、お父さんはきれいに食べきり、お母さんは僅かに残した。パスタ二種は、私はやはり1/4がせいぜい、お父さんはほぼ完食、お母さんは半分くらい食べた。メインの肉と野菜は、私は肉は2口くらい、生野菜は全て食べ、お父さんお母さんはほぼ全てをきれいに食べたようだった。一方の子供たちは、さすがに女の子にこれは多かったようで、時々両親が食べてやっても残していたが、お兄ちゃんのほうはまだ小学校上がったかどうかという年頃なのに、大きなピザを全部食べてしまっていた。そうか、大きな胃袋は幼いころから鍛えられて作られるんだね。
昨日の昼に入ったところ(とてもおいしかった!)でも同じ構成の家族を観察したが、やはり大人は一通りのものを平らげていたし、子供も皿数は少ないとはいえ、日本の子供には無理な量をぺろりとやっていた(この家族、すごく楽しそうで素敵な人たちだった)。
 若い人はどうだろう、と見ていると、カップルなら男性はやはり一連のものをとり、ついていけない女性のほうはもっと皿数がすくないようだ。女性のひとり御飯の場合はもっと簡単に、パスタと何か肉類と水、という人もいた。
だから私ももっと簡単にすればいいのだが、でも滞在中にできるだけ多くの種類のものを口にしたい、と思うとつい欲張ってしまうのだ。

画像上は、皮を剥いたサボテンの実。下はおやつのアランチーニとビール。

2005.1.6 [木] シャッカ

晴れ。
 シャッカはシチリア島の南の端にある小さな漁業の町だ。他に産業といえば古代ギリシャ人が伝えたという陶器の製造とローマ時代から続く温泉があるが、夏の観光シーズンでもなければ静かなひっそりしたところであるらしい。
 この町に来た目的は、温泉を使った湯治施設に行くこと、生ウニを食べること、迷宮のような古い住宅街を歩き回ること、の3つだ。特に町を歩き回るというのは常に不可欠で、これらの本を読んでから特に大事なことになった。
http://www.kanshin.jp/...
http://www.amazon.co.jp/...
 これらによれば、シャッカは様々な民族の支配を受けた中でそれぞれの文化の影響を少しずつ今に残しており、特にコルティーレという沢山ある袋小路が住民の共同の生活の場として、戸外でありながら時には家の中と同じような役割を果たしているのが特徴であるらしい。なんだかすごく面白そう。ということでここに来た訳だ。

 で、まずは朝早くからやっているという湯治場へ向かった。どこも体の悪くない私は、泥パックなどのエステができればいいなあと思っていたが、ここのHPは殆どイタリア語なので事前の情報があまりなく、ちゃんと受けられるのかあてはなかった。しかも、事前にファックスで問い合わせをしたのに返事がなく、メールも出してみたがやはり応答なし、挙句には最近まであったはすのHPが消えてなくなっていた。嫌な予感はしたが、施設の前までやってきて意味がわかった。
「シャッカ温泉は閉鎖されました。2005年1月31日リニューアルオープンします!」
と門に貼紙がしてあったのだ。そうか、そういうことか・・・。がっかり。

 でも町歩きは楽しかった。本当に入組んだ、急な斜面に段々畑のように無理やり作ったドラマチックな外見だった。楽しみにしていたコルティーレはいたるところにあった。しかし本にもあるようにそこは、公道でありながら地元の人にとっては住居の一部であり、よそ者には入りにくい作りになっている。まさによそ者の私にはそうずかずかと入り込むことが出来ず、そこがちょっと食い足りない気もしたけれど。残念だったのが、この本を持っていかなかったこと。更には、本からコピーした重要な地域の地図を散策の中で落としてしまったことだ。むーん、食い足りない・・・。

 そしてウニも結局食べられなかった。聞いた話では、冬になると港近くには水揚げしたばかりのウニの屋台が出、そこで生ウニをパンにつけて食べさせてくれる!のだそうで、それを心待ちにしていたのだけれど、この日がイタリアの祝日、御公現の日だからなのか、町も港もひっそりしていた。

 しかし、その他の食事は食い足りないどころか、嫌ってほどたらふく食べ、イタリア人のようにもっと大きな胃袋が欲しいと心から思った。
思うに、イタリアはスローフードの国、などといって確かに手間隙かけて食事を作ってくれているようだが、しかしそれを食べるのはほんの一瞬、ぺろりとあっと間に食べつくしてしまうのね。彼らの食べる量の大さもさることながら、その速さにも驚いた。一皿にいつまでも時間かけて食べているのなんて私くらいだった。
 昨夜は宿の食堂でここの娘さんが作ってくれた晩御飯を食べたが、今夜はコースで食べたいな、と昼間に目星をつけといた店へ出かけていった。開店間もない時間で客は私しかおらず、この日最初の客がこんな訳わからんちんちくりんで動揺したのか、立派なお腹をした主人らしい男性は余分なグラスを片付ける際に慌ててそれを割ってしまった。続けてやってきた赤いシャツを着た、顔も体格もジャック・ブラック似の給仕の青年もワインをこぼしていた。
 食事はどれもおいしかった。何回かイタリアに来ていてようやくわかったが、当たり前だけどイタリアにだってうまい店もまずい店もある。そういう意味ではここのセットメニューはわりとおいしかったように思う。
おいしかったけどでも、とにかく量が多くて、次に何がどんな分量で出てくるのか、あと何皿続くのか、を考えると本当に恐ろしかった。前菜がてんこ盛りで出てきた時点で怖くなり、慌てて半分にしてくださいと頼んだが、それでもすごく多かった。さっきの赤シャツのジャック・ブラックに、イタリア人はこれを本当に全部食べているのか、と聞いたら、私の倍の分量を食べる、と答えた。イタリア人、大きいから、だそうだ。
 食べ物の神様や飢餓で苦しんでいる人たち、ここのお店の人たちに申し訳ないと思いながらもかなりの量を残してしまった。帰り道では中身がこぼれださないようにゆっくり歩を進めなければならなかった。おいしいんだけど、お願いだからもっと少なく出して欲しい・・・。

画像左は、閉鎖されていた温泉の貼紙。右はその辺に自生している団扇サボテンの実。

2005.1.5 [水] パレルモ→シャッカ

晴れ。
 昨夜ついたばかりだというのに今朝はもうパレルモを出てシャッカへ移動する。今回の旅行は何だか乗り物の中ばっかりだなあ。失敗したかなあ。でも今日の移動は1時間40分くらいのバスの旅で、昼前には目的地に着く筈だ。
 バスでは最前列に乗りたかったが先客があり二列目に座った。この最前列にいたイタリア人青年はMさんちのKさんに大変よく似ており、密かに写真を撮ろうかと思ったくらいだった。
 バスはシチリア島の西部の内陸を南へ縦断する。島の北の端から南の端への移動だ。パレルモで見た海はティレニア海、これからシャッカに着いて見える海は地中海となる。
 今日のバスの窓からの景色も素敵なものだった。田舎といっても私の住んでる田舎と全然違う。山といえば時々いきなり現れる、白い地肌を所々に見せた緑の草に覆われた岩山で、潅木のようなものが麓に少しあるだけ。日本のような落葉の雑木はない。松やオリーブのような青い木ばかりで、それもうっそうとするほどには林立していない。あとはゆるゆると緩やかにのびる緑の丘がつづく。基本的には緑と白の風景で、そこへ時折オレンジの実をいっぱいつけた木がアクセントに出てくる程度だ。私が旅行する目的の一つに、見慣れないものを見たい、というのがあるが、今日の1時間40分でこの目的を既に果たした気がした。
 やがて緑の景色が終わり、今度は青い海が明るく目の前に広がり始めた。嬉しくて写真をじゃんじゃんとっているうちに、バスは再び丘の広がる緑の世界へ。あれえ〜?と思っているうちに終点らしき広場で停まり、乗客は皆降りてしまった。シャッカって、ここか?地図だと海が近いんだけど。
 不安になり運転手に地図を見せたところ、運転手はさっきのKさんに似た青年に何事が言付けて私を降ろしてしまった。何が起きたのかわからず、しかしこの青年は困った顔をしていた。私はイタリア語が出来ず、この人は英語を殆ど話さないので事情を飲み込むのに時間がかかったが、どうやら私はシャッカでバスを降りそびれ、一つ先の終点の町リベラまで来てしまったようだった。あの海が広がる景色が見えたところで降りねばならなかったのだ。浮かれて写真撮ってる場合じゃなかったのだ。
イタリアのKさんはここで友人らしき人と待ち合わせ、迎えに来てもらっているようだった。この友人と二人で私を近くの飲食店へ連れて行き、リベラからシャッカへのバスの時間を尋ねてくれた。ここの看板娘のような、すごくきれいにアイラインをいれた、華奢でかわいらしいけどきりっとした印象の女性がバスの切符を売ってくれ、あと10分でバスが来ることも教えてくれた。
 バスが来るまでの間、「旅の指差し会話帳」で彼らと少し話をした。一緒にいた友人という人は以前ミラノでお菓子職人の修行をしていたらしく、そこで日本人の職人と知り合ったそうだ。この人は東京で店を出している、とメモ帳を繰り、その住所を教えてくれた。へえー、面白そうだ。今度行ってみます、と告げると、じゃあ彼に挨拶しておいてください、とイタリアのKさんはメモ紙に彼らの名前を書いてよこした。ええ、ええ、こんなにお世話になったのだもの、是非ともこのメモをお届けさせていただきますとも。
 定刻を15分ほど過ぎてようやく、シャッカへ私を連れ戻してくれるバスが来た。彼らは運転手に私の降りる先をよくよく言い含めてくれた。こういうときに使うイタリア語の感謝の言葉をせいぜい「グラッツェ ミッレ!」くらいしか私は知らず、もっと何かうまい言葉はないもんかと会話帳を調べたがなく、まったくもどかしい思いをした。せめてこのメモを届けさせてもらおう。本当にありがとう。お世話になりました。

 シャッカへ戻ると、そこはさっき確かに通ったところで、確かにバスも停まったところだった。そして今夜の宿の前もバスはちゃんと通っていた。だめだなあ、ぼーっとしてるなあ。気合が足らんなあ。
 宿は空いているのか、ツインルームをあてがってくれた。広くて眺めも良くて、ここにしてよかった〜。と、思ったら、便器の中に何かが・・・。むむむ、これは前の客のモノが流れていない、ということなのでは・・・。とりあえず流してみたが、水の勢いが悪くうまくいかない。これは、クレームすべきなんだろうか。どうしようか、としばし考えて、さっき飲んだビールの酔いも回ってやや気が大きくなっていた私がとった行動とは、
いざ、フロントへ文句を言って部屋を変えてもらう!
ではなく、
窓枠によじ登って上についているトイレの水洗タンクの栓を直す、
だった。足場が悪くおっかない体勢での情けない作業ではあるが、私にとってはクレームをつける勇気をだすよりはずっと容易なことなのだ。
 観察してるとどうも、水洗タンクの栓が不完全なために常時水が便器へ少しずつ流れ続け、タンク内に必要な量の水がしっかりたまらないため、ボタンを押したときの水洗に勢いが足りない、という状態のようだった。または、ボタンと栓の連動が悪く、しっかり栓が開かないので水もあまり流れてこない、という可能性も考えられた。うーむ。というか、なんでこんなイタリアの南の端っこまできて便所の観察やってんだろう、私。
 とにかく上にあるタンクの中を見てみよう、ということで窓枠を足場にして覗き込むと、栓を動かす関節の辺りに錆が沢山ついていた。この間接を何回か手で動かしてやって、栓を全開にしたら、流れた流れた。一気にゴゴゴ、と気持ちよい音と共に前の客のブツはきれいになくなった。以後、便器に水がちょろちょろ流れ続けることもなくなり、ちゃんと直ったみたいだ。ここには2泊する。このトイレとはこうして最初から仲良くなることが出来た。

画像上はバスからのシチリア内陸の眺め、下はシャッカからの地中海の眺め

2005.1.4 [火] ローマ→パレルモ

晴れ
 辺りが真っ暗なうちに駅に着いた。列車内で食べるおやつと水を買って、ガリガリ君(乗車前に切符に時刻を刻印するガリガリという音を立てる機械。勝手にこう呼んでいる)に切符を通し、さて、私の席を探そう。
 ローマ発が7:27、終点のパレルモには18:10到着予定だが、既に出発の時点で10分遅れていた。途中の駅での停車時刻が更に遅れ、パオラに着くころには30分の遅れとなっていた。
 この列車はメッシーナ海峡を渡ってシチリア島に着いた後、東のパレルモと南のシラクーサとに行き先が分かれ、車両を二列に切り離して別々に運行するらしかった。どっちにいくにしても約12時間を車中で過ごす。昨日の飛行機の12時間に続き今日のこの12時間。体力的に無謀な計画だったか。
 眠気のままにうとうとしていたら、別のコンパートメントの居心地が悪かったらしい旅行者風のオーストリア人青年が移って来、更に続けてパオラで3人が乗り込んで来た。6人用の房が急に賑やかになった。
 賑やか、というのは本当に賑やかで、それはこの3人がひっきりなしに何かを喋りあい、少し途切れたかと思うと誰かの携帯電話が鳴りそこでお喋りし、それも終わると今度はこっちからどこかへ電話をかけまたそこで喋り、ということを延々繰り返していたからだ。どうやら静けさを好むらしいオーストリア青年はやがてふいと出て行ってしまい、そろそろネタも尽きたらしい3人の新たな話の矛先はどうしても私に向くことになった。
 それまでただ黙って景色を眺めていた私に、隣に座ったおばさんがイタリア語で何かを話しかけてきた。大きなサングラスをかけ黒でビッ、とキメたなかなかおしゃれな人だ。偽ルイ・ヴィトンのボストンバッグ、グッチ(多分)のハンドバッグ、他にも2つのかばんを持っていた。私はイタリア語がまったくわからないので、イタリア語をできません、と英語で言ってみたが、「旅の指差し会話帳」を持っていたのでそれを広げながら何とか意思疎通を図ってみようと思った。
 すると会話帳を使って、どこからきたの?名前は?歳は?結婚してるの?彼氏は?仕事は?住んでる町の名は?兄弟は?どこへ行くの?イタリアは初めて?一人?云々かんぬんの質問を浴びせた。さすがに会話帳だけでは限界がありやがて、何を言っているのかこっちにはさっぱりわからないが、私をネタに3人でまた盛り上がり始めてしまった。
 思うに、イタリア人の中には、とにかく喋っていたい、相手は誰でもいいからとりあえず喋りたい、という人たちがいるのではないだろうか。最近のように携帯電話を持つ人が増えたのも、一つはこういう他愛もないお喋りをどこにいても出来るから、というのがあるように感じる。彼らを見ていると、携帯電話で話しているのは別にたいした用事ではなく、単にちょっとかけてみました、お話したいんだけど、という程度のようでもある。
 喋るのに飽き足らず、次第に隣の黒装束のおばさんは歌いだしたくなってきたようですらあった。フンフン口ずさんでいるうちに今度は踊りたくなったらしく、座席の中で肩をゆすり始め、しかしそこは自重し、私に向かって
「何か踊れるか?」
と聞いてきた。踊り!?すわ、これはいよいよ炭坑節の出番か!?と僅かに身構えたが、
「踊れませーん」
と答えたらまた笑って何か皆で盛り上がり、私のイタリア初のステージは叶わなかった。叶わなくてよかった。

 半島の先端、レッジョ・ディ・カラブリアでスペイン人男性が降り大分静かになると、さっきのオーストリア青年が戻ってきた。彼はとてもきれいに英語を話しイタリア語もかなり出来るので、よく私たちの通訳を務めてくれた。
 本日のメインイベント、列車がフェリーに乗り海を渡る、という時にも、列車を降りて船の中を一緒に歩かないか、というおばさんの申し出を訳してくれた。
 そうなのだ。船に車両が完全に積み込まれると、列車を降りて乗客は船内で過ごすことが出来るのだ。きゃー!これだよ、私がやりたかったのはっ!
 おばさんの道案内でデッキへ上がったが、その道中の面白かったこと。
 列車は3両くらいずつに切り離され、船内に平行に何本か敷いたレールに沿ってしまいこまれていた。だからさっきまで陸で一列になっていたときに私たちの数両先にあった車両がすぐ隣に並べられており、窓からはその隣の車両の乗客が見える。
 扉を開けて下へ降り、こうして何列かに並んだ車両の間の狭い隙間を乗客はぞろぞろと歩き、何箇所かある階段へ向かう。この階段の番号を覚えておかないと帰りに迷子になるので、おばさんは番号を指差し、「4」と確認した。列車の上は車の階で、更にその上がデッキとなっていた。
 お天気がよく大変きもちがよかった。あれがシチリア島よ、とおばさんが教えてくれた。ついでに、パレルモでもシャッカでも、かばんはこうして前にしっかり抱えること、とも教えてくれた。はい、ありがとう、気をつけます。
 フェリーでの移動時間は小一時間といったところか。対岸のメッシーナに着くと、列車は船外へ出たり入ったりしながら、やがてパレルモ行きとシラクーザ行きとの2列に編成しなおされ、メッシーナ中央駅のホームの両側に並んだ。面倒なことやってるけど、しかしよく出来ているとも思う。
 この時点で定刻より1時間の遅れ。パレルモへ着いたのは更に遅れて19:30頃だった。宿への道のりは大した距離ではないが大通りを外れた小路を複雑に曲がりくねらねばたどり着けないようで、その上パレルモは怖いよと出発前にあれこれ脅されてもいたので、タクシーに乗ることにした。列車で乗り合わせた向かい側のスペイン人女性とオーストリア青年に別れを告げ、おばさんはというとタクシーで一緒に宿まで送ってくれるという。結局お互いの行き先が方向違いだった為に相乗りは出来なかったが、そのお心遣いがとても嬉しかった。本当にありがとう。
 私一人で乗ったタクシーにはぼったくられたようだけど。
 宿は本当に入組んだ路地の向こうにあった。六畳一間にトイレとシャワー付き。年々物価が上がっているように感じるイタリアではこれでもお値打ちの方なんだろうな。

画像上は、レッジョ・デ・カラブリアでフェリーに積み込まれる列車から見た船内の線路。下は、今日乗った列車の掲示板。ローマ駅のホームにて。

2005.1.3 [月] 成田→ローマ

 成田:晴れ  ローマ:晴れ
 今回の旅行の目的地はイタリアのシチリア島にある街、パレルモとシャッカだ。なのに何故ローマで飛行機を降りてしまうのかというと、シチリア島へは空路や海路ではなく陸路、というか列車で入りたかったからだ。
この島と長靴型の半島の間にあるメッシーナ海峡に橋はなく、フェリーで結ばれているが、何とここを列車で渡ることができるという。どうやら、列車の車両ごとフェリーに積み込み、対岸でまた列車を線路に戻す、ということをやるらしいのだ(まあ結局これも海路だが)。
 南イタリアを一気に南下しこの方法でシチリア島へ渡る列車がローマ発で日に数本ある。こんなに面白い輸送方法があるのならば是非とも体験してみたいものだ、ということで、飛行機ならば1時間ちょっとでいけるところを、物好きにも丸一日かけて移動することにしたのだ。
http://www.kanshin.jp/...
によれば、どうもそのうちについにここにも橋が架かってしまうそうだ。そうなると多分このまだるっこしいやり方もなくなるだろうから、そうなる前に何としても一度はやってみたかった。
 その為、ローマへは単に列車に乗るためだけに立ち寄り、観光は一切しないということで向かった。着いてすぐにローマ駅へ行き、明日の大移動のための切符を1時間以上も待たされて買った。買えてよかった。これで満席、とかいわれたら、同じくフェリーに積み込む方式のバスで移動する(楽しさ半減)か、最悪だとまた空港へ戻ってやっぱり飛行機で行く(楽しさ皆無)、というプランB、Cにせねばならないところだった。はらはらしながら順番を待った甲斐があった。
時差ぼけはあまりないほうだが、やはり12時間の飛行の後に続けて慣れないことをしたのでくたびれた。ホテルのそばで晩御飯を食べてさっさと寝た。明日は夜明け前に出発なのだ。

画像は、ホテルの浴室。これは、便座の上でシャワーを浴びろっつーことですかね。脇のわずかなスペースで何とかなったけど。

2005.1.3 [月] 〜10日

晴れ

 無事に旅行から戻ってこられた。行く前にあちこちから脅かされていた割には怖い思いもせず、色々な親切を受け、スムーズに予定がはこんだ。
 去年と比べていくらか成長した点を挙げてみよう。
・落し物、忘れ物を(殆ど)しなかった。
・犬の糞を踏まなかった。
・引ったくりにあわなかった。
こんなところか。
 一方で新たなトホホを挙げると、
・ズボンの前を開けたままで気づかずにいた。
・バスを降りそびれて隣町まで行ってしまった。
・宿の窓枠によじ登ってトイレの水洗を直した。
・ボッタくられ率が上がったような気がする。
・食堂で自分の食べられる量を超える無謀な注文を何度もしてしまった。
・ある施設が閉鎖されていたためにメインイベントの一つができなかった。
といったところ。
 でも楽しかった。計画に無理があったからか年齢のためか、かなり疲れたけど。

画像は、イタリア半島とシチリア島を結ぶフェリー。これに列車の車両を載せて運ぶ。

2005.1.2 [日] 

晴れ。今日もいい天気

 今朝になったら昨日のおせち料理がちゃんとしたいつもの重箱に移しかえられていた。まあどっちでもいいんだけどね。
 明日からイタリアへ行きます。離陸が早い便なので今日から成田へ一泊します。前泊するなんて初めてだなあ。
 大晦日の晩から始まった映画「カンフー・ハッスル」を一目見てから旅立ちたいので、成田の前に新宿へ行く予定。でかい荷物を背負って歌舞伎町へ行く、って何か家出女みたいだなあ。
 昨日、携帯のメールアドレスを変えた。迷惑メールが多いほうだったが、ここ数ヶ月はそれこそもう、毎日10件以上、多いと一晩で20件以上が来ていた。無視すればいいやと放って置いたが、よく考えたらこの旅行8日間の間に毎日この調子で来たら、それこそ80件以上がたまるのか・・・、と恐ろしくなったので、変えることにしたのだ。
 ということで、いってきます。

画像は、うちからの雪景色。お天気いいけどまだまだ雪は融けない。留守中に降らないことを祈る。母に雪かきをさせるのも忍びないので。

2005.1.1 [土] 

晴れ。雲ひとつない青空と昨日の雪で白くなった山々がぱちっとぶつかり合ったような、気持ちのよい朝。

 昨日母が用意していたおせち料理を入れる容器、いつもの重箱と違うけどとっかでみたことある・・・、と思っていたが今朝気がついた。
 こ、これは・・・、十数年前に祖父の何回忌だったかの香典返しに使った葬式饅頭が入っていた箱ではないか・・・?いいのか?新年を祝う料理をこんなものに入れて。母に指摘してみたところ、いつもの重箱を高い棚の上から出すのが面倒だったのでこれにした、のだそうだった。まあいいけどね。おじいちゃんと一緒のお正月、ということにしておこう。
 今年も初詣に行こうと思ったけど、昨日の雪が道にいっぱいでどこへも出られない。たまった汚れた足袋の洗濯をした。

画像は今朝の雪。昨日は雪印みたいなきれいな結晶がみえた。

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