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2004.3.23 [火] 

検索したら、漫才師のセント・ルイスは、去年解散していた。「田園調布に家が建つ」とか言っていたらしい。
http://www.sponichi.com/...

画像は、セントルイスの数少ない観光地の一つ、アーチ。
これの上に登ることも出来る。

2004.3.23 [火] 〜29日 セントルイス

 今も活動しているのかどうか、関西系の漫才師でセント・ルイスという人達がいる。パンチパーマに垂れ目のサングラスをかけたのっぽのおじさんと、くりくりした目の愛敬のある背の低いおじさんとの二人組だ。どういう人達なのか全く知らないが、私が高校2年の時に彼らが学園祭の目玉として招かれ、おまえら全員アホや、とかなんとかさんざんこき下ろしてブーイングの中を帰っていった、ということがあった。
 それを切っ掛けにご縁が出来たということなのか、セントルイス、妹が住むこの街へ初めて行った。

 だいたいアメリカへ行くのも初めてだ。荷物検査や身体検査が厳しいと聞いていたが案外スムーズに運び、無事に経由地のミネアポリスに降り立った。入国審査も何とかつたない英語で通過できるだろう、と思っていたら、英語力以外のことで思わぬつまづきをしてしまった。
 何しに来たのか、妹はアメリカで何やってんのか、いつまでいんのか、云々を散々聞いた後に入国審査官は私の写真を見て、
「あなたと顔が違うなあ・・・。」
と言った。そんなこと言われても、それは私以外の何者でもなく、弁明の仕様がない。一昨日、友達にも写真と顔が違うと言われたが、まさかこんなところでもそれをネタに突っつかれることになるなんて・・・。
 写真のせいなのか私の応答のせいなのか、すぐには入国させてくれず、別室へ行くように言われてしまった。その部屋には、どんな言いがかりを付けられたのか10人ほどの人達が待たされていた。ざっと見たところ全員がアジア人。何か込み入った質問をされたり、このまま帰れとか言われたらどうしよう。
 結局さっきと同じような質問を繰り返され、案外簡単にパスポートにハンコを押してくれた。よかった。でも何がいけなかったのか。人相か?

 セントルイスは、よく分からないけどアメリカの地方都市の典型なのだそうだ。これと言った観光地は殆どなく、住宅地が広がっている。繁華街と言えるほどのものもなく、パーっと憂さ晴らしが出来なくて妹達も困っているらしい。
 数少ない観光地は、その昔に西部の開拓がこの街から西へ向って始まったことを記念する、馬鹿でかいアーチだ。本当にそのくらいしかない。
 車がなければ晩のおかずの買い出しにも行けない。そもそも歩いている人が殆どいない。近くにでかい公園があったので頑張って歩いていってみたが、車仕様の公園になっており、園内の移動を歩いてする人はゼロに近かった。
 それでも、授業の合間をぬって妹がドライブに連れて行ってくれたり、倉庫みたいに大きなスーパーへ連れていってくれたりして楽しかった。色々慣れないことだらけで本当に大変だと思うけど、頑張って順応しようとしているのだなあと、我が妹ながら感心感心。
 同じ日本からの留学生のお友達とも一緒にご飯を食べた。どこか美味しいお店、ということになると、誰もアメリカ食の店を勧めない。私達が行ったのもメキシカン、ベトナミーズ、イタリアンの店だった。一度ハンバーガーで有名な店へ入ったがそこは美味しかったなあ。
 留学生の皆さんが、言葉や習慣の違い、学業でそれぞれに苦労をしていながらも互いに助け合って、でもべったり頼りすぎることもなく、いい塩梅のバランスをとっていることがお話からよくわかり、とても感心・感動した。帰りの飛行機で隣になった日本人のおじさまに、いかに彼女たちが頑張っているか、思わず説いてしまった程だ。
 帰国の朝、部屋を出る時に、妹が後で戻ってから私を懐かしむことが出来るように残り香を、おならの一発でも残しておいてやろうか、と思ったがうまい具合にでなかった。残念。
 飛行機の中で例によって食事時にビール下さい、と言うと、日本のものとバドワイザーとから選べと言われた。迷わず後者にした。セントルイスにはバドワイザーの大きな工場があるのだ。製造場所を見るとやはりセントルイス。工場の見学も予定していたが結局行けず、でもここで飲めたからそれで満足です。

画像は、お役人に疑われた私のパスポートの写真。

2004.3.22 [月] 8:04 pm

朝から雪。

 昨日と打って変って雪が降った。予定では明日の朝早くに家を出れば飛行機に間に合う筈だったが、この調子で降り続いた場合、明日の交通が麻痺して間に合わない、なんてことも有り得るので、用心して今日のうちから西荻に泊めてもらうことにした。
 支度はだいたいできていたが、しかし積雪が多かった場合、明日の朝雪かきをするのは母であり、あまり負担をかけられないので、今のうちに少しでもかいておこうとギリギリまでシャベルを振るうことになってしまった。結構な勢いで降っており、かいてもかいてもすぐに埋まってしまう。この後無事に駅までたどり着けるのだろうかとひやひやした。

2004.3.21 [日] 

晴れ。風が少し冷たいがいいお天気。

 東京の桜の開花予想が3月20日だと発表されてすぐに、ならば21日はお花見の日として確保しておこう、と早々に友達と決め、そして今日になった。
 ここんとこ冷え込んでるけど本当に桜は咲くのかな、と疑っていたら、やっぱりまだまだ咲き足りていなかった。井の頭公演は2分咲きといったところ。昨日の雨もきれいに上がっていいお天気だっただけに残念。
 それでも公園には水鳥がまだ沢山おり、春の花も咲いていたので楽しいお散歩になった。
 「明後日からアメリカに行くの〜」
と持っていたパスポートの写真がいかに怪しいか皆に見せると、写真と実際の顔が違う、5年前の写真だが今よりも老けている、などと言われた。やっぱりね。顎を突き出して遠くを見詰めるこの写真であと5年使わねばならないのか。もっといい写真にすればよかった。
 帰宅して夜、旅行の荷造りをせねば。

2004.3.20 [土] 

雨。肌寒い。

 よく考えたら今日はただの土曜日ではなく祝日なので、あてにしていた旅行会社が閉まっており、慌てて新宿のHISへ行って飛行機の切符をとった。一日も早くアメリカへ行きたいのだ。結局火曜日の出発になった。

 結婚して姫路へ行っていた友人が上京してくるので、これを機会に学生時代の友達と集まることにした。まだ誰も六本木ヒルズに行ったことがないということで、今日のイベントはあの展望台へ登ること。
 天気が悪いので当然だが、しかしそれにしても何にも、足元の車や建物さえもまったく、展望台からは見ることが出来なかった。霧が濃いために視界はゼロで、ガラス窓ではなく白い壁があるのかと思った。もしかして内側が結露しているのかも・・・、とガラスを擦ってみたがそんなことで見えるようになる訳もなく、そこはただの閉塞感に満ちた白い部屋でしかなかった。残念。
 見晴らしのよいはずのレストランに入っても、お給仕の男性が私達を席に案内して、
「こちらの景色は新宿方面でございます・・・。」
と言ってはいるけれど、相変わらずの白い壁。何も見える筈がなかった。

2004.3.19 [金] 

くもり。寒い。とはいえ冬の寒さに比べれば楽。

 今日もまた小津安二郎の映画をやっていた。今日のは「東京物語」。やはりみるともなしにみていたら、おやまた笠智衆がお父さん、あれ?また東山千栄子がお母さんだ。で、義理の娘(未亡人)はここでも「のりこさん」。デジャヴかと思ったよ。
 東山千栄子がまた、
「のりこさん、いつでもお嫁にいっていいのよ」
とか何とか言っていた。よっぽど「のりこさん」という人を嫁にいかせたいみたいだなあ。

 急に用事が出来て来週からアメリカはセントルイスへいくことにした。アメリカへいくのは初めて。大丈夫だろうか。

2004.3.18 [木] 

2月28日の日記に、かずさんちで見せて頂いた絵暦のことを書いた。
半夏生の日のところで、禿げ頭をなでてうな垂れる男の人の絵を、私は勝手に勘違いして、
「禿げでしょう」→はんげしょう
と思ってたが、真実は、
「はげ生ず」→はんげしょう
でした。
最近友達が見合い相手の頭髪量問題であれこれ言っていたのが私にも影響したのだろうか・・・。
かずさん、ありがとうございます。

2004.3.18 [木] 

くもりのち雨。久しぶりの雨は懐かしいニオイだった。生ぬるくて、春が近い気候。昨日辺りから鶯が鳴いている。

 ここんとこ衛星放送の映画で小津安二郎のものが続けて放映されている。あんまり興味ないので流してみていたが、どうでもいいけど、昨日の「麦秋」といい今日の「晩春」といい、主人公の原節子は嫁かず後家三十路のどちらも「のりこさん」という役どころ。これって、まさに私のことじゃん。名前まで同じで。
 笠智衆が、
「のりこも嫁にいってもらわなくてはこまるのだから」
とか言ってたけど、別に困らないっつーの!
月丘夢路が、
「のりこさん、早くお嫁にいっちゃいなさいよ」
とか言ってたけど、余計なお世話だっつーの!
「のりこさん」というのがあちこちで連呼されるので気になるのか。原節子が説教される度に、こちらも塩梅悪く、
「どうも、あい、すみません・・・」
という気分になってくる。
 最近民謡に興味があって聞いている「おてもやん」。歌詞がよく聞き取れず検索したら見つかった。これも実は嫁入りの歌だったのか。でもなんかかわいい歌だ。

 適正価格のお話、暫く掲示板を見ないうちに熱く盛り上がっていたのですね。
 私も作って売って、をしているので値段については考えることが度々あるが、基本的には、値段にはそれなりの意味がある筈、と思っている。大根が1000円で売られていたら、その大根には高いなりの理由が何かあるはず(普通のものよりすごくおいしいとか。ほんとにそんな大根あるのか知らないけど)。ほうれん草が10円になっていたら、安いなりの理由があるはず(しなびているからとか。まあ農家で直接買ったらよいものでも安いけど)。ただ高いからというだけで敬遠する、とにかく安ければいい、という基準では買い手も損だと思う。値段相応の意味がそれぞれにあるべきだと思うんだけど、そういう基準を覆すような無意味に高い値段の付け方をする売り手と、物の価値を知らずにやたらと値下げを求める買い手、とが増えると、実際の価値と値段が本当に適切に組み合わさっているのか、だんだん分からなくなっていきそう。
 値段をつけるのって、すごく難しい。幾らなら買いますか?って聞かれてもなかなか答えられないし、自分で作ったものをさて幾らで売ろう?と決めるのも難しい。原価で決める、かかった手間で決める、他にあるかないかという希少価値で決める、利用価値・出来不出来で決める、世間相場で決める、など基準がいっぱい。
それから、少しそれるけど、よくスーパーなどでうたい文句にされる、
「安くてよい品を!」
っていうの。あれは殆ど有り得ないことだと思う。何がよい品かってのは人によって違うだろうけど、基本的には良いもんはある程度高いのだ。良いものはなかなか安くはならないのだ。良いものは誰もが欲しがるから高騰するのだ。良いものを本当に安く売れるとしたら、誰かがどこかで物凄い知恵を働かせているか、誰かがどこかで損しているのだろうな。

2004.3.12 [金] 

晴れ。少し寒い。

 今日でようやく見本市が終った。疲れた。同じ期間中にやっていたフーデックスの方に行きたかったが、店を開ける訳に行かなかったので諦めた。
 脚が棒のようだが、明日は友達と健康ランドへ行くのだ。

2004.3.9 [火] 

晴れ。

明日より3日間、毎年恒例の見本市にでます。毎年恒例のこととはいえ、いやだなあ〜〜。しばらくは外泊続きです。

2004.3.6 [土] 

晴れ。でも風が強い。

今日も狙っていた映画があったがダラダラしているうちに見逃してしまった。布でコサージュを作るのに便利なコテってのがあって、これを買ってホクホク、諸星大二郎の漫画を2冊も見つけてウキウキ、だったのでいつもより早く帰宅しようとしたら、駅に迎えにきてくれるとあてにしていた父が、観たいテレビがあるから、ということで来ず、寒空の下で延々バスを待つことになってしまった。どっかで事故があって渋滞している街道沿いの人気のないバス停で、木綿の単だけで突っ立っているのは辛かった。カイロを二つ、背中には真綿を背負っていたとはいえ、寒かった〜。

2004.3.5 [金] 

晴れ。しかしウチのほうでは所により朝方に雪。

次の週末にある見本市で必要なものを浅草に買出しに行った。これがかずさんたちのツアーへの参加が遅れた理由の一つ。本当はこの後、もうひとつ予定をこなそうと思っていたけど、浅草が予定外に時間を食ってしまったので後回しにして銀座へ向かった。
皆さんもう田中翼コレクションは見た後だったので、私は明日にしようかと思ったけど、しかしちょうど折りよくも田中翼さんご本人がいらして展示の解説をなさるという。折角皆さんと合流できたというのにすぐに別行動に走り、解説を聞きに行ってしまった私・・・。協調性な〜い。
加えて言うならば、浅草の次にこなすはずだった予定とは、今日封切りの映画「イノセンス」を観ること・・・。これを観てから合流するつもりでいたのだ。またしても協調性な〜い。銀座では他に中さくらさん達にもお会いしたというのに、わが道を行ってしまった私・・・。田中翼コレクションの後には、予ねての予定通りに観ました、「イノセンス」を。感想は・・・、う〜ん。すごい!けどでも・・・。久々に「ニューロマンサー」とか読みたくなった。

2004.3.4 [木] 

くもり。時々雨がぱらついた。

 昨日からやっている夏物のきもののサイズ直しが出来上がった。うれしい。しかも2枚も。身幅を出して裄もその分長くなった。
 しかし、うすーい縮は、ちょっとのことで破けるので私のような粗忽ものには厄介な生地だな。初めて着た時には思わず力んで指でずぼっ、と穴をあけてしまった。これも身幅が狭いせい、と思い縫い直したのだ。早くこれらを着る季節にならないかなー。

 絵織さんの日記にある半襟、すごく素敵!!!半襟というよりも一幅の絵というかんじ。

2004.3.3 [水] 

くもり。

 お雛祭りなので桃の花など買ってみたが、お雛様の周りには塩梅よく飾れるところがなく、人がよく出入りするところで邪魔にならないところ、ということで結局トイレに飾ることになってしまった。
 我家は私を筆頭に女4人の姉妹なので、そして有難いことになんだかんだで全員がそれぞれのお雛様を持っているので、この時期の居間の中は賑々しい。加えて、長女である母も古いお雛様を持っており、その他にも頂きもののお雛様、姫達磨なども合わせると、どれも小さいものだが合計で8組のカップルが集っている状態になる。この時期にしか出てこられないので仕舞いっぱなしはかわいそう、ということで母が毎年飾ってくれるが、何故か雛祭りと関係のないものまで一緒に並んでいる。祖母がくれた蛇皮線のミニチュアとか。やはり祖母が妹にくれたどこか西洋の民族衣装のお人形とか。これらも普段は出番がないのでこの機に便乗してお披露目である。
 妹達はあまり興味がなさそうなので、きっとこんなに大勢のお雛様たちを私が引き受けることになるんだろうなあ。年に一度のこととはいえ、何か責任感じる。

画像は、その中の一組、紀州雛という木に漆塗りの小さなお雛様。解説によれば、紀州に立ち寄った少彦名命(すくなひこなのみこと)があまりに美しかったのでその人形を作り伝え、やがて後に仁徳天皇がこの地に来た時に皇后の人形を作らせ、こうしてカップル人形が出来上がったのだとか。

 さっき改めて数え直してみたら、やっぱり10組のご夫婦がおわしました。ちっちゃいものや絵も含めてだけど。

2004.3.2 [火] 聖徳太子の墓

くもり。昨日は雪。今朝ももっと山深いところでは降ったらしい。西の山の上は白かった。

 パートさんとの話題で度々登場するのが、聖徳太子の墓、だ。あるパートさんが言うには、ここから車で5分ほど行った旧甲州街道沿いの目立たないところに、聖徳太子の墓がある、確かに見た、ちゃんと「聖徳太子の墓!」と書かれている、のだそうだ。聖徳太子って奈良県人なんじゃないの?なんでこんな中部地方の片田舎に墓があるわけ?と、この人の勘違いだと皆で言っていたが、今日になって別のパートさんが、先日ここを通った時に自分もこの墓を見た、と言い出した。あの時代のえらい人の墓というからにはやはり前方後円墳か何かだろうか、と尋ねると、いや、普通の○○家の墓、というような墓石と同じ、縦長の直方体が台座の石の上に乗っかったものだという。場所も詳しく聞くことが出来たので、仕事の後、用事のついでに私も行ってみることにした。
 で、ありました。確かに。ありましたが、これは墓なのだろうか?パートさんの言う通り日本の墓地にごく普通にあるようなタイプの墓石みたいなものの正面に、面積目いっぱいに「聖徳太子」と彫り付けてあった。しかしそれだけで「之墓」とは書かれていなかった。周りに何か説明の立て札でもないかと探したが見当らず、桜?の木の下にぽつねんと立っているだけだった。石をよく見たら、右側面には
「弘化二?巳年十二月」
とあった。?はもしかして乙か。
 左側面にはもっと細かい字が沢山書かれていたが殆ど判読できず、一部、
「天保七年丙申」(多分・・・)、「上大野村」
だけ分かった。石は苔むして字の窪みにもはびこり、そのままでは読み難かった。これが墓なのか何なのか、結局分からずじまい。ちなみに
聖徳太子が亡くなったのは622年
天保年間:1830年〜1844年
弘化年間:1844年〜1848年
で、天保七年といえば天保の大飢饉があった年。もしかして何かの供養塔だったりして・・・。
 こんな大和朝廷と遠く離れた地に聖徳太子と縁があるはずない、と思っていたが、伝説の中では意外とこの近くの市が登場するらしい。名馬をもらった聖徳太子が、ちょっと乗馬してくる、と出かけて行き、あんまり脚が速いので富士山まで行ってきた、と語った、という話があるとか。その道中で近くのT市に立ち寄ったのだそうだ。だからここいらにも聖徳太子からみの何かがあってもおかしくない(ってこともないが)。しかしそれと江戸時代の石碑と何の関係があるのか、
なぞだ〜!!
 この向い側にも、今日初めて気付いたが小さな神社、その名も「山神社」があり、境内にはお地蔵さんが何人かいらして、三申?もあった。なんなんだろ〜、ここ。諸星大二郎先生、教えて下さい。

画像は、証拠としての墓の写真、というのはちょっと恐かったので、墓を見つけて驚愕する私の図。

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