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|  2007.3.31 [土] 肌のよき石にねむらん花のやま 斎部路通 |  | 
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 | お茶部の花見野点の日。 
 時間に遅れて最後の乗り換えをしたら、電車内でIさんに呼び止められる。
 おお偶然!(Iさんは遅れてない)と思っていたら、
 そこにまたMさんが!会えないはずだったのになぜ!
 やーよくできてるなあ。
 ということでお土産を一種進呈。(お誕生日おめでとうござりまする〜)
 剥き身でお渡ししてしまってすいません。
 
 意外と人出が少なくゆったりお花見。
 持ち寄り品もすごくおいしかった!
 #私は荷物の関係で人任せ...。
 
 桜の見える丘の上で風に吹かれながら熱い茶をすする幸せ。
 抹茶はたまにいろんな条件が重なって「おいしい」と思うときがある。(私の場合)
 
 選んだお酒は図らずとも富士山と桜の絵。
 屋内に結界を張ったら、物理的な結界を作られたり(鍵を閉められた)、
 会えないはずだった人に会えたり、
 やっぱり持ち寄りはご飯もの(しかもお稲荷さん)が3人もいたり、
 花咲じいさんがシンクロしたり。
 もちろん蜘蛛も出ました。うちでもみたけど。
 帰りに友から、手ぬぐいをもらった。
 「月と千鳥どっちがいい?」といわれて
 今日は絶対月だと思ったら同じのを既に持っていたので
 千鳥をもらって帰る。
 野球少年は千鳥だったのか。飛び交う浜千鳥。
 丘も、富士山だったのかもねー。
 
 そもそもこの日が選べたというのが、すごい。
 本当に満開だったし、雨にも降られなかった。暦もばっちりだったしね。
 自画自賛なんじゃなくって、お茶部は私の力だけで成り立っているのではなく・・・。
 いろんな力の結果がすごいってことです。
 
 もしかして、お稲荷さんは大豆がポイントだったのかもしれない。
 甲子の日は大黒様に大豆を供えるのだそうです。
 
 帰りもばっちりで、最寄り駅のホームに着いたら小雨が。
 雨コートを羽織って外に出たら止んでいて、しかも
 その後の電車は人身でストップ。さすがすぎる。
 夜は大嵐。冗談じゃなく、アパートが揺れていた・・・。
 
 #温泉は断然屋内より露天風呂派です。
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|  2007.3.30 [金] |  | 
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 | 歌もお忘れなく〜。 | 
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|  2007.3.29 [木] さすがお茶部。 |  | 
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 | 桜の色と春の夜空と月の色の組み合わせは、日本的。 春の夜空は紫がかってますね。
 数日前から月影も朧。
 −−−
 
 お花見、雨マークとれました。さすがだよ。
 旧暦で最初の甲子の日。相性は水生木。
 暦は、甲子・四緑木星。納・テイ。天恩日・母倉日・月徳日。
 お米と関係の深い大黒様の日。国津神、大国主・大物主・大己貴命の日。
 
 前日に雨で浄化までしてもらえるらしい。
 そんで月は十三夜です。
 −−−
 お花見用の桜は、
 品種交配を繰り返した危うさみたいなのが
 出てる気がする。
 原種の山桜とかカンヒ桜とかには
 危うさもざわざわも感じないなあ。
 無菌培養して着飾れるだけ着飾った、それのみを目的に育てられた箱入り娘みたいな。
 その目的そのものがはかないんだろな。
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|  2007.3.28 [水] |  | 
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 | 中西さんは、プチドキュメンタリーを見たことがあります。 山に篭ったり、なんか不思議そうな人でした。
 
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 日本の行事や儀式では、
 使い終わったものはすぐ片付ける特徴があるというのを
 吉野先生が書いてらしたけど、
 その理由がなんとなくわかってきた。
 時間を区切ることができる、というのもあるけれど、
 片付けなきゃいけないんだと思う。
 そこにあってはならないもんじゃないのかなあ。
 
 ある意味づけをして、その道具や物を使ったり設置したりしたのなら
 その用事が済んだら、それはもう「用事が済んだ」わけで、必要がなくなり、
 且つ
 そこにあってはならないんじゃないかなあ。意味づけをしているから。
 
 吉野先生の本でそれを最初にみたのは、たしか新嘗祭かなんかで
 天皇が歩くところに赤じゅうたんか何かを敷いて、
 歩く後ろからくるくる巻いてしまうという説明の文でだったと思う。
 あまりにも世界が違いすぎて「へー」としか思わなかったけど、
 お茶部やってたら意味がわかってきた。
 
 通路としてそのじゅうたんを使ったのであれば、
 何か意味があって、その色だったり素材だったりを選んで
 方向も選んでいるはずで、
 それが使い終わってもそこにありつづけてしまうと、
 別の意味になったり用途にされてしまったりする恐れがあるからだと思う。
 
 たとえば、
 お雛様はすぐしまわないと婚期が遅くなるとか・・・。
 少し違うけど、割と近い気がする。
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|  2007.3.26 [月] |  | 
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 | サーバがぐだぐだでメールが上手く動きません。うがー。 
 何年か前?に真楽日記にもメモったんですが、
 中西悟堂さん、かなり気になってます。
 そのまま未調査なんですが〜。
 
 カラスを飼って(?)いて、朝寝ていると、
 カラスが遊んでくれと二階まで起こしにくる
 
 という晩年のエピソードを聞いてから興味津々なのです。
 鳥は苦手なので。やつらは賢くて痛い。
 
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 お花見連絡はそろそろ最終です。今日なんか書きます。
 いい具合にお花見できそうですね!
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|  2007.3.7 [水] |  | 
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 |  啓蟄だったので目覚めたということなんでしょう。 しばらくまた交信の日々が続くような気配。
 
 お茶部でやったことは、もう全部がすっごい昔のことに思える。
 まだ1年経ってないなんて思えない。
 端午なんて、体感で3年前くらいな。 →
 七夕だってかなり前に思える。
 
 何でだろうなあと思ってたのだけど、
 たぶん、終わっているからだと思う。
 引きずっていることがなくて、
 ついこのあいだみたいだね、と言えることと違って
 連続するものがないから。
 その場限りのものだから。
 
 そんで、昔の人は、こうやって、
 時間を進めてたんだろうなと思った。
 区切りをつけてその場限りの何かをすると、
 時間を区切ることができるんだなあと。
 そんで過去にする。次を見る。
 だから、日本のお祭りや儀式なんかは、
 終わったらすぐ片付けるんだろうな。
 時間の流れさえ変えられるなんてよくできたおまじないだ。
 
 
 一陽来復で一段落(確かにそうなんだけど)。
 したと思っていたけど、それはそれ、これはこれで、
 季節はめぐるし途切れることはない。
 のでまだつながってるみたいです。
 
 というよりは。
 それが当たり前で、日本はそういうことになっていて、
 お茶部の会がつながって関係性があるようにみえるけど
 そうじゃなくて、
 本来、日本の季節はそうなっていて、
 それに沿うように行事があって、
 そこをなぞってるだけなんだなあと。
 思った。啓蟄の日。
 
 今の特に都会の生活だと、
 昨日と今日と明日はずっとつながりっぱなしで
 区切ることが少ない。今が何月かさえよくわかんないことがある。
 だからお茶部だけが妙に過去に思えるけど
 そうじゃないほうが不自然なのかもな。
 
 端午で植えた稲は、ちゃんと収穫したよね。
 ほんとによくできた一年であったことよ。
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|  2007.3.7 [水] |  | 
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 | 31日になる理由をはやく知りたい。 
 って日記に書こうとしてたら(画面には書いた)理由判明。
 甲子だった。今年初。ちなみに九星は四緑で友引。
 
 そろそろ桜に同調しようと思って、
 桜の塩漬け+天然塩+日本酒のお風呂から
 上がった直後。
 
 ありがたや。
 相変わらずお茶部らしいです。
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|  2007.3.6 [火] |  | 
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 | 水垢対策情報、ありがとうございました。 
 ええと、全面的に曇っているので
 こそげ落とすというのもなかなか。
 
 ステンレスにも傷がつかないスポンジのようなもの?
 で毎日擦っています。
 すこしは落ちてきた。けど先は長い・・・。
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|  2007.3.1 [木] |  | 
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 | クエン酸でも酢でも、台所の水垢が取れません・・・。 ど、どなたかお知恵を。
 
 仕事場が変わってから、体が磨耗していく感じで何もやる気が起きず、
 食べたくないものを食べたりしていたら
 何が食べたいのかすらわからなくなってしまったよ。
 そして申込みなどなどを忘れていたのが3件も(私事)。
 何か対策をたてねば。帰ったら即足湯か?
 仕事場は回復の場がないんだよなあ。
 家に着く頃にはすっかり干物になってるんだよね。
 
 字統がほしいです。
 「兆」は、亀卜の甲羅にヒビが入った様子だそうですよ。
 そろそろ桃の節供ですな。
 
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 足湯に必要そうなもの:椅子と桶
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