●Kabar Baru Berita Lama
JEGOG・ヌガラの海岸でムバルン(競演)
 UBUDにある居酒屋「影武者」のマネージャー・伊藤氏は、JEGOGの音を聴くと荒れ狂う大海原に漂う自分を感じると言う。伊藤氏はその怒涛のように押し寄せる荒波の音を想像させるJEGOGの音と浜辺に打ち寄せる波の音を実際に競演させたいという夢を持っていた。そんな夢を(財)スアール・アグンのスウェントラ、和子夫妻に打ち明けると、「それは面白い、ヌガラの海岸でムバルンをしよう。」ということで話はとんとん拍子でまとまった。伊藤氏は、もう一つ贅沢な注文をした。それは、ムバルンを3チームですることである。なんと大胆な企画であろうか。主催はAPA情報センター。企画がまとまったのは1997年の夏のことである。


 そんな伊藤氏の夢物語は、人から人へ伝わって、いつのまにやら海を渡って日本のJEGOGファンにまで伝わり、ぜひ参加したいという声があがり、異常な盛り上がりをみせた。多数の問い合わせや、ツアーを出そうという旅行会社まで出たそうだ。

 夢の3チーム対抗ムバルンは1997年12月28日に実行された。UBUDからの参加者は70人ほどで、大挙観光バス3台をつらねての出発。観光バスはランブット・スウィで小休止をし、参加者はムスポ(お祈り)をさせてもらう。なんと70人もの人である。ランブット・スウィ寺院を過ぎて30分程、走りMendaya村を左折したPantai Delodberawah(デロブラワ海岸)が今日の会場である。海岸は砂浜が幅30m、長さは遠く彼方に霞んで見えないほど果てしなく長い。会場の海岸には、もうすでにガムランのメンバーが到着している。現地へ直接参加した30人を足して、参加者は100名という大盛況。村人たちの見物人を加えると、なんと総勢200名以上の人々が海岸に集まっている。前日の大雨、そして前々日、三日前と雨模様が続き、関係者を心配させた(伊藤氏は雨は降らないと確信していて、いっこうに心配していなったようす)が、当日はうって変わって快晴。JEGOG日和りがあるとすればこんな日のことを言うのであろう。
 JEGOGの楽器のセッティングが始まった。海岸の砂浜は今、幅30mあるが、あとで潮が満ちてくると砂浜はほとんど隠れてしまうそうで、土の部分にもっとも近い砂浜に海を背にしてセッティングすることにした。参加者は海に向かって土の部分に坐り込む。
 午後4時、開演。JEGOGの音の波と波の音との競演がいよいよ始まった。大海原を背にして並んだJEGOG/3チームは、大自然のロケーションにも決して見劣がせず、一枚のバリ絵画になるほどマッチしている。演奏者は「音が砂に吸い取られてしまい返ってこない。そして、波の音に敗けてしまいそうなので、いつもの数倍のパワーで叩いたので、今日はとても疲れた」と公演後の感想を述べていた。しかし、参加者はそんなことにおかまいなしに、JEGOGの演奏に興奮状態。伊藤氏も波打ち際とJEGOGの間で満足気な顔で聴いている。
 西の海に沈む太陽が茜色に染めた空をバックにJEGOGは終演に近づいた。バリ舞踊が披露されたあと、スウェントラ氏の指導で踊りのレッスンがあり、ジョゲブンブンで参加者の数名が踊った。演奏後は楽器に触れることもでき、グループのメンバーから手ほどきをうけていた参加者もいた。
 参加者の顔つきは全員がJEGOGを満喫したといわんばかりである。そして、名残惜しそうに帰路についた。

 後日談:スウェントラ氏曰く、「海岸には、赤い髪をした何者かが100人ほど走り廻ってサッカーをしていて、たまに演奏しているわれわれのところにきては、いたずらで脇をくすぐっていくので演奏しずらかった。」…なんて不思議なことを言っていた。なんでもこの何者かたちは、20cmほど地面から浮いたところをすべるように歩いているそうだ。スウェントラ氏は不思議なパワーをもった人。そんなものが見えてしまうのですね。えっ、あなたも見たって?
 とにかく、ふだんではお目にかかれない、すごい企画でした。この企画の成功に気をよくした関係者は、年末の恒例行事にしようと意気込んでいました。
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