クビャール・レゴン。みなさん、この踊りを知っていますか?レゴンのひとつ?
いいえ。クビャール・レゴンこそ、現在のトルナ・ジャヤのもとになった踊りです。
トルナ・ジャヤは、女性によって踊られる“若者の勝利の踊り”。激しく、ダイナミックな演奏と振り付けが印象的な踊りです。
さて、時は1930年代。バリを愛したドイツ人画家、ウォルター・シュピースが北部バリ(当時の首都はシンガラジャでした。そう、エア・ポートもないので、シンガラジャの港が、いわゆる国際港になっていました)で初めて見て、聞いた、ゴン・クビャールと、その伴奏で踊られるクビャール・レゴンのことを「Dance and Drama in Bali」という本で書いています。それがとてもおもしろかったので、ここで紹介することにしましょう。
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1915年、北部バリ。ここで「稲妻」を意味する「Kebyar」−クビャール−という新しい形態の音楽がつくられた。この音楽は非常にダイナミックで、急に音が止んだかと思うとまた始まり、聴くものをいつも“はっ”とさせる。Lelambatan−ルランバタン−と呼ばれるクラッシック・スタイルの音楽(プラのオダランなどで演奏され、テンポが遅い)とはたいへん異なっている。Kebyarは、あっという間に全バリに広がり、今日ではガムラン音楽の一般的スタイルとして耳にすることができる。
1938年。シンガラジャ・Bengkala村のI Wayan Wandresという男性が、今までの古典のレゴンとは違うKebyarスタイルのガムランに合わせて、二人の若い女性のための踊りを創作した。それは強くて大胆な動きを基に、顔、特に目を使った表現を駆使するものだった。しかし、その頃のBengkala村のガムラン・グループは、たった15人しかいなかったので、ガムランをフル編成するために、一行はJagaraga村に移ったのだった。
Wandresが振り付けをしたその新しい踊りは、レゴン・スタイルとクビャール・スタイル両方から名をとり、クビャール・レゴンと命名された。その後、Wandresの弟子のひとりであったGede Manikが、この踊りをさらにアレンジし発展させたのである。その結果、クビャール・レゴンはトルナ・ジャヤとレゴンという全く違った踊りを組合せた二部構成のような形になった。Jagaragaのクビャール・レゴンは北部バリ全域で有名になっていった。この新しい踊りをGede Manikから学んだ、第一世代の踊り子のひとりがSawan村の故Ni Nyoman Kasningで、第二世代が、故Ni Luh ManikとNi Ketut Kasning(1928年生まれ)である。
クビャール・レゴンの前半のパートは、トルナ・ジャヤとして知られ、この踊りには非常にエネルギッシュなガムランの演奏を身体で表現できる強い踊り手が要求される。そして、後半のパートは、レゴン(正確には、レゴン・クンティールの真ん中の部分)と、ジャウックの要素が取り入れられている。
−以上、1995年4月に行なわれたレゴン・フェスティバルのパンフレットより−
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●'95年4月に行われたレゴンフェスティバルでクビャールレゴンを踊るNi Ketut Kasningさん
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北部バリの各村には、昔から踊り子がすばらしいことで有名であったが、とりわけガムランが有名だった。各村はそれぞれのガムラン、そして踊りのスタイルを持っていて、互いに競い合っていた。北部の人々は、古くからある伝統的な習慣を守る一方で、時折、異端的で新しい試みをするのも好きであった。そんな中でガムランの新しいスタイル、クビャールは生まれたのである。
村の踊り子のグループは、全て幼い少女たちで結成された。村々を散歩すると、ワンティラン(集会所)で子供、若者、年寄りがワイワイと集まり、少年たちが熱心にガムラン演奏の練習をしているのをしょっちゅう見かけたものだ。そのガムランは原始的で、烈しい気質を持っていて、目にも止まらぬほどの速さで演奏される。猛々しいリズムからは壮烈さ、華麗さ、興奮が表現されるのだ。それは、クラッシク・スタイルのガムランしか知らなかった南部の人々(特にガムラン奏者)にとってはショックであった。そして、同時に絶賛された。
ゴン・クビャールの曲を聴いていると、時々、わかりやすいメロディーの断片が、激動の中に押し流され、消えてゆき、そして再び表面に浮かび上がってくる。かと思うと、ひとつの非常に澄んだ響きがこぼれ落ちる。ひとつ、ふたつ、そのうちにシャワーのように落ちる。多くのグンデル(鍵盤の楽器)の完璧な調和の中でメロディーがぽっかりと浮いているようだ。それが、チェンチェンによってふいに途切れ、その複雑なリズムによって崩されるのである。
そして踊り。踊り手の動き、振り付け、表情によって、このダイナミックな音(ガムラン)を表現する。踊り手は、カーテン(ランセイという幕)を激しくふるわせたかと思うと、ほんのかすかな笑みを浮かべ、目を輝かせてカーテンから現われる。踊り手は初め、ゆっくり、ソフトに、やわらかく、やさしく、頭と身体を傾けて首を振る。足は地面の上で遊んでいるように軽くステップを踏んでいる。突然、チェンチェンの音に合わせてShakeし、非常に速い速度で半円を描きながらまわる。そして急に、はっとするほどソフトに動く。ひざをつき半分座ったようなかっこうをして身体をふるわせる。その間踊り手の目線は矢のように、稲妻のようにあちこちへ飛ぶ。彼女たちは、速く、激しく、ささーっと狭いスペースを端から端へと移動する。それでいて、木の葉が風に舞っているような軽やかさなのだ。 ガムランの激しさは言葉に言いあらわせない。演奏者の顔には興奮の表情はない。妙なくらい、無表情にみえる。しかし、彼らの身体は楽器を演奏しながら、ぶるぶるとふるえ、その動きはまるであたかも彼ら自身が楽器となって振動しているかのようにも見える。時々、激しく演奏する時は、あたかも彼らが楽器を壊してしまうようだ。何かが彼らを操って演奏しているようにも見える。
ある時、北部バリのクビャール・レゴンの踊り手ふたりとガムランが南部のMenjaliという村で公演を行なったのを観た。暗いテントの下は端から端まで人で埋め尽くされていた。演奏が始まった。踊り手の女性二人は、幕を少し揺すぶったかと思うとすぐに現われた。彼女たちは、紫色と金色の布の帽子をかぶり、深紅と金色の長袖のタイトな服の上から、胴に帯を締め付けるように巻いている。透かし彫りの入った金の首輪を付け、腰に巻いているサルンは輝く素材の黒い布だ。ターコイズと金の腰飾りには銀色のヘリが付いている。踊り子ふたりは、陶酔したような顔つきをしたかと思うとカッと目を見開く。その時の目は黒目が完全に真丸く見えるまで、非常に大きく開けられている。口元は少し尖らせ気味だが、時折微かな笑みを見せる時、上唇を少しだけ上げる。すると、前歯の一本だけ金歯にしているのがちらっと見える。
北部バリでは、前の歯を一本だけ金歯にすることは、踊り手の少女にとって、なくてはならない装飾であった。暗いランプの下で踊っている少女たちの衣装のかすかな輝き、金の首輪、腰飾りの銀色の煌めきが彼女たちの顔とともにぼんやりしたり、浮き立ったり見える。それはたとえようもなくファンタスティックな光景であった。 |
以上、ウォルター・シュピース著「Dance and Drama in Bali」から抜粋。極通スタッフが独断で意訳したものですので、正確には本文とは多少違うところがあります。
さて、いかがでしたか?私たちが日頃よく目にするゴン・クンビャールとトルナ・ジャヤの踊りをイメージしながら読むととてもおもしろいですね。それにしても、踊り子が前歯の一本を金歯にしてたなんてユニークです。薄暗いランプの下で踊られたふたりの少女によるクビャール・レゴンは、さぞ魅力的だったことでしょう。
今回、ウォルター・シュピースの原文(英語版)をUBUD滞在中の貴重な時間をさいて翻訳してくださった、アメリカ、シアトル在住の吉田ゆかりさんに感謝を捧げます。
どうもありがとうございました。
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