●Profil/人物紹介
Anak Agung Anom Putra
 この世には、アート=芸術と呼ばれるものが存在する。音楽、絵画、舞踊…、ありとあらゆる種類の方法を使って、人々はアーティストになる。アーティストの自己表現能力があるレベルまで高揚した時、そこには神の存在が見える。
 アノム。
神々の棲む楽園・バリ島に生まれることを許された、ひとりのバリ人。
 彼は踊る。あの美しい、人間が人間以上に美しく見える、バリの踊り。一度でも彼の踊りを観た人は、身体がふるえ出すような感動に襲われる。なぜ、ほんの十数分の踊りに、こんなにも心が奪われるのだろう。人々は異口同音に彼の踊りを誉め讚えるが、それは彼を通して、人々は"神"のスピリット("神"というのに抵抗があるなら、"超自然"としてもいい。)を感じ、それに共鳴するからだ。ダイレクトに自分のハートに。
 今まで世界中に、たったひとりでダンスを踊り、観る人々をこれほど感動させたダンサー(アーティスト)が、いったい何人いただろう?今、現代文明の中に生きている私達は、他人の創り出すアートに、これまで人生の中でこれほど純粋に心を揺り動かすことが、いったい何度あっただろう?それも涙を流すほどに。
 アナッ・アグン・アノム・プトラ。
 UBUDのある貧しい家に生まれ、小学校の制服以外服が買えず、時には氷売りの手伝いなどをして、ささやかな生活費を得ていた。彼の父は村で人気のトペン(仮面)のダンサーだったが、その頃のアノムは、もちろん踊りなど習う余裕はなかった。そこで彼の生涯の「母」(幼い時に実母を亡くした彼は、こう呼んでいる)アイリーンと出合う。アメリカからBALIに魅せられてやってきたアイリーンは、アノムに学費の援助をし、バリのダンスを習うようにすすめる。今までダンスはおろか、他の子供達と同じように遊びまわることのなかった彼は、これを機にとりつかれたようにバリ・ダンスを習いはじめる。
 この時、彼は10歳であった。
 みるみるうちに才能ある彼は村中で評判になり、コンテストで次々と優勝し、ついにはバリNo.1に輝く。
Anom photo

 その後、彼はコカール(芸術専門高校)からASTI(現在のSTSI=インドネシア芸術大学)まで、政府の奨学金を得、トップの成績で卒業する頃、自分が創立者のひとりとなって「スマラ・ラティ」を結成する。この頃までにアノムは、すでに何度も海外の舞台を踏み、人々を感動の渦に巻き込んでいる。
 今までの古い村の慣習にとらわれたガムラン組織とは全く異なる、純粋に「真の芸術性を求めて」活動するプロフェッショナル集団「スマラ・ラティ」は、それゆえに、村の古い組織の協力を得られず、UBUDの中で、定期公演の会場も自分達でさがさなければならなかった。
 しかし、スマラ・ラティを、そしてアノムの踊りを観た人々の、限りない賞賛によって、1992年、念願であった日本公演を果す。
 縁あって、この不思議な地バリとめぐりあい、アノムの踊りを、今、この目で観られることを神に感謝したい。彼を通して、その神の存在を、はっきりと感じとることができる。

 アノムはスピリット・オブ・バリ、そのものなのだ。

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