●Pendahuluan
創刊にあたって
伊藤 博史
 『あっと〜おどろく〜為五郎〜』が天上界にめされたと聞きました。さすがUBUD、いきなり精神世界の話と喜んだ人はいませんか。残念でした。これは、私が本を出版しようという遠大な計画を聞いた皆が「あっと〜おどろく〜」と奇声を発するのではないかと予測して先手を打っただけの話なのです。
 為五郎、またの名を「ハナ 肇」が亡くなったことは、私の青春の記憶を少し霞させてしまったような気がします。彼がリーダーをしていた、クレージー・キャッツは1960年代の芸能界を東奔西走していました。それは私の青春を色濃いものにしてくれていました。クレージー・キャッツの映画「無責任男」シリーズと加山雄三の「若大将」シリーズは私の青春時代に同居しています。ここまでの話を理解できない若者は、近くにいる四十代の元若者に聞いてみてください。
 私もUBUDの無責任男と呼ばれ続けて、早くも四年の歳月に突入しようとしております。友人ブリ・オカの二才になる娘グンゲもすくすく育ち、バリ語はもちろんのこと、インドネシア語、日本語も理解できるというのに、四才にもなる私は、いまだにインドネシア語も満足に話すこともできません。これはもう逆に、立派といってもよいのではないでしょうか。(そんなことはない、と影の声) そんなことはない、やはり皆が言うように早くも頭の老化が始まっているのかもしれません。そんな私の頭の老化を防ぐために、本を出版することを考えたのです。いえいえそういうわけではありません。いったい本の出版目的はなんなのか、皆さんも疑問を持つことでしょう。そこでお答えいたします。UBUD熱愛症候群の堀、エリ、コンビが将来UBUDに長期滞在を実現するため考えました。いえいえそういうわけでもありません。(本当のところは、なんなんだ?)とお叱りの影の声が聞こえてきますが、本当のところは…、本当のところは・・・・、何も考えていません。またまたお叱りの影の声が、遠く、ガムランの音とともに聞こえてきます。
 ただ本が出してみたいだけなのです。なんだそうなのかと、妙な納得をしないでください。しかし、出すからには少しでも、世の為、人の為に役立てよう。(なんて考えるはずもありません) そして、UBUDがいつまでも、素晴らしいUBUDでありますようにと願って、名称も恐れ多くも賢くも、そのものずばり『UBUD』として出版することにしました。やはり雑誌の名称は、小学館の「小学一年生」「中学一年生」というように、対象を一目瞭然にしたタイトルがバグースだと思います。UBUDをこよなく愛する人、UBUDのローカル・ニュースを日本に居ながらにして手に取るように分かる。これはUBUD病にかかった人々の、処方箋的雑誌です。この私の文章を読めばわかると思いますが、なにもこむずかしいことを書くつもりはありません。読者が積極的に参加をするという意味で、UBUD熱愛症候群による、UBUD熱愛症候群のための、UBUD熱愛症候群の雑誌とでもいいましょうか。どこかで聞いたことのあるキャッチ・フレーズだなと、気が付いた方。そうです、1960年代をファッション界で一世風靡した、ファッション・メーカーVANの「若者による、若者のための、若者のファッション」というキャッチ・フレーズを真似てみました。
 そんなこんなで結論はUBUD病の人々が集まり、好きなことをして楽しもうというわけです。ですから雑誌の内容も病気の症状によってフレキシブルになることでしょう。そういう意味も含めて読者の皆さんとしては大変楽しみなものになると思います。


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